- (更新:2021年09月17日)
- 犯罪・刑事事件
なぜ弁護士は「悪人」の味方をするのか ~弁護士 杉山大介の場合~
『なんで、「あんな奴ら」の弁護ができるのか?』
How Can You Represent Those People?
という著作もあるように、刑事弁護に携わる者が必ず問われ続けるテーマのように思います。私も、とある事件でパトカーに同乗した際、警察官とのざっくばらんな会話の中で問われたことがあります。「どう考えても犯罪をやっていると思うとき、弁護士としてはどういう気持ちで弁護をするのか?」とも。
私は、「人権のため」とは答えないです。人権が誰にでも保障された社会が重要であることは、私も当然理解しています。ただ自分が、赤の他人の人権が大事と言われてどこまで真剣にとらえるかというと、やはり「理解」にとどまり、強い確信にはならない気がします。また、犯罪が社会的に悪であることはおおむね間違いなく、自分自身の感覚でも犯罪があっただろうと感じている、上記警察官からの問いのような場面において、悪を助ける可能性を意識しながら自己の行動を正当化するのに、「悪人にも人権があるから」では、今一つ説得的ではないと自分は生の人間として感じます。
一方で、私は自分の正しさに確信を持って、刑事弁護の仕事をしています。実は、質問を受けたときお話しした内容は、もっとも対極の立場にあるかもしれない警察官からも、「なるほど」という反応を引き出せました。そんな私なりの、刑事弁護の心について、今回はお話しします。
1. 刑事司法はシステムによって正しさを生み出すものである
刑事事件は、警察官が捜査したものを検察官が法律家の目線で検証し、時に自身でも捜査の指揮を執り、有罪の心証を抱いたときに起訴します。また裁判では、検察官と弁護士を対立させ、それを裁判官が判断します。
このように刑事事件では、ひとつの事件の結論を出させるのにも、多くの人を関わらせています。もっとも、この中で、疑われる側の主張、裁かれる側の主張を反映できるのは、弁護士のみです。
警察官や検察官といった捜査機関は、基本的に、犯罪があったという方向で捜査を進めます(犯罪者を追い詰めるのだから当然です)。裁判官は、出てきた資料から判断する立場であり、ドラマ『イチケイのカラス』のように、自ら捜査したりはしません。そうすると、弁護士側が積極的なアクションを取らない限り、悪い方向での話しか出てこないことになります。
また、捜査機関は逮捕勾留して相手の自由を奪ったり、証拠を探すため人の家に入ったり物を押収したりもできますが、弁護士はできません。裁判官は、事実はこうであったと決定し、裁かれる被告人が嘘を言っていると判断する権限があります。
このような中で、弁護士がどういう役割を担うことにより、正しい捜査・裁判が行われるかを考えてみます。弁護士しか、被疑者・被告人に肩入れできる人はいません。しかも、追及し、裁きを下す側は、ささやかな抵抗ぐらい跳ねのけるだけの権限を与えられています。この中で、弁護士が手ぬるいことをしていたら、捜査機関の視点のみで事件が完結してしまうことにならないでしょうか。
人間は、神にはなれないです。常に誤る危険を有しています。人間社会は、そういう誤る危険を、複数の立場からの相互作用によって防ぐ仕組みを生み出してきました。行政と国会と司法を分けたり、国会もあえて二つ以上の勢力に対立させたり、会社などの組織も経営と所有を分けたり、監督専門の機関を設けたり、常にチェック&バランスを行うよう仕組まれています。そして弁護士もまた、刑事司法において、そのような役割を担わないとシステムが機能しません。人は抵抗なく求める結論が得られるなら、手続きを慎重に行わなくなります。逆に、手ごわい障害を乗り越える必要があるなら、穴がないよう慎重になります。
そうして、より人を正しく事実に基づいて裁けるシステムとなるよう、ちゃんと抵抗するのです。
2. 裁判は人の心にピリオドを打たなければならない
「1. 刑事司法はシステムによって正しさを生み出すものである」で記載した内容には、ある前提がありました。冤罪である可能性、誤って人を裁いてしまう可能性があり、それを防ぐためにするという前提です。人が神でない以上、この前提が失われることはないのですが、しかしそれでも冒頭の問いには答え切れていないです。自分も、これは有罪だと思ったとき、なおも被疑者・被告人の味方を貫く正当性を述べられるのか。
私は、それでも、弁護士が罪を否定する主張に加担することは意味があると考えます。有罪であった場合、刑罰が科されるわけですが、これは死刑を除き、考えを改め、いずれは社会に復帰することを求めて行うことになります。しかし、真に犯罪を行ったのに罪を否定しているということは、その人はそもそも自分の罪を受け入れられていないことになります。ここで一方的に刑を科しても、本当にその人は自己の過ちに向き合うのでしょうか。結局、社会は自分の言葉を無視して進めただけで、悪いのは社会だなどと、他責の心を捨てられないのではないでしょうか。
自らに責任があることについて、それを受け入れないのは間違った思考です。しかし、それをそのまま受け入れられるのであれば、そもそも問題なんて起こしていません。刑事司法は、社会のルールに従うことができなかった人たちに、再び社会に望ましい構成員となってもらうために、国が用意したシステムです。であれば、その心が生み出している感覚を無視しても、より安全で望ましい人々によって構成される社会にはつながらないです。
結局、罪を否定する人は、自らが裁かれることに対して、裁くことが客観的に正しいときでも未練を抱いています。真に犯罪を行っているなら、更生する大前提として、この未練を断ち切らないといけません。そのために、弁護士は裁判で、本人の主張を全力で表現すべきと、自分は考えます。優秀な弁護士の手によって、全力で表現された自分の主張が、完膚なきまでに裁判において粉砕された、そういう場面を目撃することでようやく、自分は誤っていたのではないかと気づく契機が、得られるかもしれないと考えるのです。
このような、人の未練を断ち切り、ピリオドを打つための全力弁護という考え方が、一般的かはわかりません。当時話した警察官も、そういう発想には初めて触れたと言っていました。ただ、私、杉山大介はこのような信念を持っています。
3. 私がこうしていられるのも、検察官と裁判所の正しさがあってこそである
こうして弁護士がさも素晴らしいことをしているかのように述べてきましたが、私の中にも甘えがあるという自覚はあります。公権力を持つ検察官と裁判官は、真実が味方する限り、ちゃんと正しい結論に持っていけるという甘えです。弁護士が何を言おうと、正しさを貫けるだろうと期待しているのです。
弁護士が正しい指摘をしていることがあるかもしれません。そのときは、そこに一手間を割いて、耳を傾けてください。弁護士が、誤った主張を代弁していることがあるかもしれません。そのときは、全力で粉砕してください。私は、それを期待し、自分の職責を全うします。
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