「カリスマリーダーの影響力」は“破壊力”の裏返し… まとまりが強すぎる組織に潜む”落とし穴”

一松 亮太

一松 亮太

「カリスマリーダーの影響力」は“破壊力”の裏返し… まとまりが強すぎる組織に潜む”落とし穴”
影響力の高いリーダーの判断力が推進力となる一方で、その他の意見を萎縮させることも(bee / PIXTA)

いかなる企業も、いまやコンプライアンスを遵守することは“世界標準”。そう認識していながら、日本ではいまだ古い価値観を振りかざし、組織や会社を貶める愚行を働く企業人が絶滅することはない。

本連載では、現場でそうした数々の愚行を目にしてきた危機管理・人材育成の4人のプロフェッショナルが、事例を交えながら問題行動を指摘し、警告する。

第5回は、人事のプロとして、企業の研修にも多数登壇している一松亮太氏が「強すぎるリーダーの功罪」について解説する。(【第1回】 【第2回】 【第3回】 【第4回】

極端な意見になりやすい集団極性化と組織の意思決定

「集団極性化」という言葉をご存じだろうか? 心理学の分野で扱われるこの集団極性化とは、集団で意思決定を行なう際、個人で意思決定を行うよりも極端な意見になりやすいという現象である。

1961年に当時学生だったジェームズ・ストーナーによって発見され、その後も心理学の世界で繰り返し研究がなされてきた。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、みなさんも一度は聞いたことがあるかと思う。集団極性化を端的に表している言葉である。

企業を含む、組織での活動は言うまでもなく、意思決定の連続である。判断を誤れば、大きな問題に発展しまうことにもつながりかねない。そうした中でこの「集団極性化」が悪影響を及ぼし、組織の意思決定を大きく狂わしてしまうことがある。

集団極性化が起こる原因は、

①集団により責任の所在が曖昧になること
②説得力のある意見に流されやすくなること

が挙げられる。

まとまりのいい組織であることが抱える問題

人材育成・組織開発に携わる筆者の立場としては、集団の中に影響力が強いリーダーがいる場合、②説得力のある意見に流されやすくなることに特に着目している。

Googleの研究などで組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発信できる状態、すなわち心理的安全性への関心が高まった。精神的な垣根がない状態が維持されるので、高い生産性も期待できる。このような組織、いわば、成熟したメンバーとリーダー間における特徴として「集団凝集性」の高さが挙げられる。

集団凝集性とは、社会心理学分野において集団のメンバーをまとめあげる求心力、帰属意識の概念のことである。集団凝集性が高い組織ほど、よくまとまると理解されるだろう。そのこと自体は否定しない。だが、集団凝集性が高いということは実は諸刃の剣でもあり、通常では考えられないような組織の意思決定を生んでしまう場合がある。

実は事前に爆発することが分かっていた…NASA事例から見る集団凝集性の負の側面

その一例としてアメリカ航空宇宙局(以降NASA)の亊例でみていこう。NASAはこれまでスペースシャトルを5機開発したが、そのうち1986年のチャレンジャー号、2003年のコロンビア号の2機が事故によって失われている。

驚くべきことに、実はNASAのエンジニアは、この2機が爆発・分解することを事前に分かっていたという。ではなぜ、そのような状態のスペースシャトルを打ち上げてしまったのか。そこにはNASAという組織の集団凝集性の高さが関係している。

NASAには飛行管理者というエンジニアの上位に位置付けられる影響力の高い役職があり、そのリーダーがまさに過度な集団凝集性の中心にいた。飛行管理者が「安全である」と主張すると、周囲のエンジニアは「空中で分解・爆発するかもしれない」という不安を口にしにくい。そんな風土が醸成されてしまっていた。

実際に、のちの調査委員会の報告では、「意見を求められてもエンジニアは手を挙げることができなかった」という当時の状況が明らかになっている。もちろん、その他の数多の組織を取り巻く圧力は否定できない。

当時、不況下にあったアメリカでは莫大な予算を必要とするスペースシャトルへの開発に対する風当たりが強く、予算・人員ともに削減され、打ち上げ成功及びスケジュール通りに進めなければならないという過度なプレッシャーにも晒されていた。これらの外部の強い圧力も大きな原因と見られている。

集団凝集性に起因し、あわやの意思決定をしそうになった苦い経験

私自身も集団凝集性に起因し間違った意思決定をしそうになった苦い経験がある。ある新規事業のプロジェクトリーダーをしているときである。これまでの頑張りも一定評価され、小さなプロジェクトであったが、予算・人員等のリソースについて、十分すぎる程の裁量が与えられ、これまでやってきたのだという自負もあった。そこに慢心があったのかもしれない。

ある業務の支援先選定を行い、もうあと一歩で契約まで迫ったタイミングでのことである。契約内容の最終確認をしていると、自組織に大きな不利益・損害を与えそうになる文言が含まれていた。自分自身も「これは大丈夫かな?」と思いつつも、成果や納期へのプレッシャーからスルーしてしまったのだ。周囲もリーダーの私が確認したのだからと特にチェック機能が働くことがなかった。

幸い、締結タイミングになって、私の上司が気付き、再度支援先の選定から仕切り直すことになった。結果的に時間は掛かってしまったものの、大きな損害や不利益を招く事態にならなくて本当に良かったと今でも思い出す出来事だ。

過度な集団凝集性に起因する「集団極性化」に陥らないために

組織の事故・不祥事の原因として、集団凝集性の高さが挙げられることは多い。日本企業は、「終身雇用」「年功序列」という集団凝集性を強化しやすい土壌を醸成してきた歴史がある。まとまりが強すぎる組織において、権限・裁量を持つ者が外部からの情報を受け入れず、支配的で、議論をコントロールする傾向があったとしたら、正しい意思決定が行われるとは到底思えない。

昨今、世間を賑わす組織の事故・不祥事、ハラスメント問題についても、そのウエイトは様々であるが、奥深くには、集団凝集性が潜んでいると容易に想像される。過度な集団凝集性、またそれに起因する集団極性化に陥らないためにはどうしたらよいのだろうか。

月並みではあるが、「自分の考えは思い込みではないか」と疑問を持ち、集団内もしくは外部の専門家や第三者の視点も含めて、多様な意見や批判を受け入れる度量を持つことが肝要である。

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