エルピス ~それは1つの希望~
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エルピス ~それは1つの希望~

本当に最後まで硬派なドラマだったと思います。再審や冤罪(えんざい)問題の重さから、安易には言葉にしたくないとも思い、都度都度コメントするのは控えていましたが、2022年の締めくくりとして、最後に文を残しておこうと思いました。

1. エルピスはフィクションではない

まずここで、弁護士として仕事をしている立場として、明確にしておきたいことです。『政治家が事件を隠蔽(いんぺい)する』、『警察がうそをついて回る』、そういう社会を創作物として遠い世界に置いておきたい気持ちは、私もわかります。

作中で鈴木亮平が演じる「大人の男」が、社会全体のパニックを恐れる(かのようなそぶりで説得する)場面は、決してうそではないです。社会は、社会の仕組みを人々が信用することによって成り立っています。裁判所を人が信用しなくなり、法ではなく自らの力で物事を成し遂げるようになったら、万人の番人に対する闘争が起きてしまいます。

でも、それが社会全体そのものでなくイレギュラーだとしても、エルピスで描かれたような世界は存在します。2021年3月19日、名古屋地裁で、「警察官が覚醒剤を飲み物に入れた疑いが残る」として無罪判決が出ています。愛知県では、最近でも、留置場で警察官が捕まっている人に拷問のような仕打ちをして死なせていますね。刑事訴訟において違法な証拠の排除に関する研究論文を読むと、毎年どこかの法廷で警察官がうそをついていることがわかります。

政治による隠蔽のような動きも、決して物語の世界ではありません。伊藤詩織さんの事件は、直近の中でも特に異様さを感じられるものでした。警察幹部が逮捕状を止めた件はそこそこ有名ですが、それに加えてあの事件では、内閣情報調査室という「日本のCIA」が動いていたことは、政治ニュースに詳しい人間でないとあまり知らないかもしれません。私はその話を聞いたとき、国家が一個人に牙をむくおそろしさを、そして国家が特定の個人の意思に左右される危うさを感じずにはいられませんでした。

私自身の経験でも、捜査機関がいつもと違うおかしな動きになっていると気がつく場面があります。そういう場合、だいたい報道が異様に先行していたりと、先に結論が決まってしまっていて修正を行えないような事情が生じていたりします。そういう事件では、警察官の言動も、脅迫的で異様な攻撃性を帯びていたりします。公にされていない事件について詳しくは書けませんが、エルピスを『フィクションだとは思えない場面』はいくらでも、今でもあるのです。

エルピスが、現実の映像を混ぜて使っていたのも、これは現実の話を扱っているのだというメッセージだったと認識しています。

2. 視聴率は低かった? それとも…

過去と異なりテレビドラマの視聴率が1ケタなのは当たり前になった現在でも、エルピスの視聴率は低めだったというのが数字的な評価だったと思います。内容は第1話から10話まで途切れることなく続いており、当事者同士の会話だけのシーンも複数あり、要するに10時間集中して見続けられる人ではないと楽しみにくい構成になっています。

そこまでドラマに時間をさけるのは、相当に集中力があって、ドラマが好きで、社会問題などに関心を持っていて、そして時間的な余裕も持っている人です。ちなみに、私は録画して毎週、23時や24時くらい、あるいは翌日になっても見ていました。時間的にはそれなりに忙しいはずですが、このようにコラム執筆までしていることを考えると、そこそこ呑気なのは確かです。

人を選ぶドラマなのだから、大ヒットしないのは仕方ないと思います。むしろ、テレビの影響力は大きく、それでも日本で数百万人の人がこのドラマに関心を持ったかと思うと、自分はポジティブにさえ感じます。こんなに、今の社会を歪んでいる、人々を間違っていると指摘してくる嫌なドラマを楽しめる人たちが数百万人もいると思えば、人間捨てたものじゃないと思えます。

テレビ局だってそうです。決して短縮もされず、しっかり10話描き切ることができたのですから、こんな内部批判的な番組が許されるのですから、捨てたもんじゃない気がします。

このドラマがこうして放送され切ったこと自体を、自分は一つの希望ではないかと感じています。

3. 再審制度に頼らない制度運用を

ドラマの物語は、社会に革命をもたらさず、しかし1人の善良な人を救って終わりました。これは、ただの弱い個人たちが成し遂げたこととしては、大きな奇跡です。ただし、再審で冤罪が明らかになっても、失われた年月まで戻ってくるわけではありません。冤罪の対象になった人が外でショートケーキを食べていた姿は感動的でしたが、刑事司法としては、やはりベストではない結果になってしまっていると言えます。

裁判は、ただ正しさを追及するだけでなく、神の役を担う裁判官が、問題に無理やりピリオドを打ち、社会を回していくという妥協的な側面も持っています。法も、時効といった無理やり終わりを打つ方法を用意して後押ししています。そうしないと社会が回らないのだという妥協を、社会制度として前提に置いています。

だから、3回やったら原則間違いないのだとすること自体は、法や裁判の在り方として間違っておらず、再審制度の門が狭いこと自体は、やむを得ないことだとも私は思っています。

むしろ、3回やったら原則おしまいにするからこそ、それまでに誤りがあれば発見され処理される仕組みが必要でしょう。そういう中では、やはりチェックを最後に担う立場である弁護側の事実調査能力をどう補塡(ほてん)するかは、重要な要素と考えます。

最近、海外に倣って日本でも冤罪弁護を経済的に支援する動きが活発化してきています。裁判員裁判制度開始以降、以前よりは捜査機関が持っている証拠を弁護側が確認しやすくなりました。もし皆さんが刑事司法と冤罪に関心があるのであれば、冤罪弁護活動を行える仕組みとして、経済的な支援や国選の報酬規定、証拠開示といった各制度にも着目してみてほしいです。

小さな力の人たちが、エルピスの主人公の1人、岸本のように仕事まで失わずとも、浅川のようにできれば本業を続けながら、正しいことをしていける仕組みが、健全な社会を支えて行く一助になります。

杉山 大介
杉山 大介 弁護士

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  • こちらに掲載されている情報は、2023年01月10日時点の情報です。最新の情報と異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

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