- (更新:2021年08月23日)
- 犯罪・刑事事件
証拠法を論じよ ~示談だけではない情状弁護~
創作作品では、冤罪が疑われ、無実の人を救う姿が描かれることも多いです。しかし、世の中の大半の刑事事件は、罪があったこと自体は確かで、何とか刑が軽くならないか、社会生活だけは保てないかと、弁護士に相談される方が多いです。
そして、多くの場合、示談に関する相談を受けます。示談は示談で、考えるといろいろ検討すべき点があるのは、すでに解説しました。
一方で、相手方が決して承諾しない、依頼者に経済的余裕がない、薬物犯罪で被害者がいないなど、示談に依拠できない事件も多いです。罪を認めている事件で、示談以外にできることはあるのか? 私個人としては、ここにどれだけお答えできるかに、弁護士としての力量を問われると思っています。
本稿では、罪を軽くする情状弁護活動のうち、示談以外の手法のひとつとして、「証拠法」を論じるという点をピックアップします。
1. 大前提となる量刑の評価方法
刑の重さは、犯罪の行為・結果・経緯や動機という、問題となっている犯罪そのものに関する事実からだいたいの枠組みが決められ(2-4年、3-5年など)、反省・再犯可能性といった点から枠内での刑を決めるという思考法を取ります。
そのため、情状弁護においても、犯罪そのものに関する事実について、犯罪は成立するものの、検察官の主張するものとは異なる点を立証するのが、もっとも刑を軽くできる効果を期待できます。そして、その事実は、全て証拠に基づいて認定されます。
2. 刑事裁判は自由に証拠を出せない
ゲームでもドラマでも、好きな時に自由に証拠をつきつけているシーンが多いですが、現実の裁判では、かなり厳密に証拠を制限するルールが存在します。本稿では個別の条文を挙げるのは避けてざっくりと、根本的な考えを説明することにします。
刑事裁判の証拠は、犯罪に関する事実について最低限の証明力があり(これを自然的関連性といいます)、かつ、その証拠を提出することによって生じる弊害が提出することによる立証の利益を上回らないこと(これを法律的関連性といいます)が求められます。
証拠法の代表である、人の供述は原則として法廷で本人が証言する形でなければならないという「伝聞ルール」も、そのようにしないと法律的関連性に欠くと評価しつつ、欠かない場合をある程度類型化して明文化したものになっています。
本来は、あらゆる証拠が、この2つの関連性を満たしてなければ刑事裁判に提出できないのが原則です。
3. 検察官は証拠を過剰に出せてしまっている
一方、現実には、裁判でこの証拠法について議論されていることが少ないです。なぜなら、弁護士が出して良いと言えば、検察官も一見明白に問題のある証拠は出してこないため、結果としてほぼノーチェックで証拠が採用されてしまうからです。実際、わざわざ捜査機関に集めさせた証拠は、犯罪を検討する上では、一応は役に立つものが多いでしょう。
しかし、これらの証拠全てが、前記2つの関連性を満たしているわけではないのです。犯罪の立証をする上で本当に必要なのか、偏見を与える表現が含まれていないかと検証していくと、排斥できる証拠が存在しています。そして、おおむねその証拠から認定できる事実は、被告人の量刑評価を悪くするものなのです。
私はこれらの証拠について、あくまで刑事裁判のルールに基づき、本来採用できないのではないかと主張するようにしています。
4. 具体例で見る、意外と争える証拠
(1)監視カメラの画像報告書
監視カメラは、一見客観的で争いようがないように思われるかもしれません。しかし、監視カメラは映像そのものを証拠として使うと確認にも時間がかかることから、裁判では複数の画像と説明文がついた報告書の形で出てくるのが通常です。この、「画像になる」「説明文がつく」という点に、チェックすべき点があります。
そもそも、映像からわかる客観的な事実は、人が移動している姿などの無味乾燥なものであり、「物色していた」「追尾していた」といった事件において意味を持つものは、あくまで事実を評価した結果ということになります。そうすると、刑事裁判の原則に従えば、裁判官がその評価を行うべきであり、評価が記載された報告書になっていた場合、それは予断を与えるものになります。
また、画像にして分断することによりきれいなつながりに見えても、動画として見ると各場面に空白があり、受ける印象が大きく変わることもあります。
このように、証拠の評価が変わり得る要素は、法律的関連性がないことを理由に証拠として採用しないよう求める根拠となります。実際、報告書に代わって元のカメラ映像が採用されることで、法廷での空気がガラッと変わった場面を、私も目撃しています。
(2)科学捜査研究所(科捜研)の鑑定書
鑑定書は、科学的視点から専門家が作っており、口をはさむ余地がないようにも思えます。しかし、評価の対象となる資料が間違っていれば、どれだけ科学的に正確な理論を用いていても、正しい証拠としては機能しません。
実際、裁判前に鑑定資料の現物を見ると、鑑定書に書かれている資料の説明が正確ではないことがわかったこともありました。これも、事実評価を誤らせる危険があり、法律的関連性の観点から検証されるべきものです。結果として、その事件では起訴状の内容自体が変わりました。
(3)前科証拠
前科は当然証拠になるだろうと考えられていますが、やはり関連性の観点から検討すると、あまりに過去の話であったり、当時の裁判で認定された事実が正確でなかった場合は、現在の裁判に関する証拠の評価を誤らせる危険があることもあります。
実際、過去の判決調書の一部の証拠採用が見送られたこともありました。
5. 証拠法の主張は、すること自体に意味がある
本稿では、私が実際に裁判で経験した数例をピックアップしながら、証拠法を論じ、不利な事実認定を回避する方法をご覧いただきました。ここでお断りしておきますと、私が論理的に正しいと考えて主張したからといって、当然いつも通るわけではありません。ただ、特に法律的関連性を主張するということは、その証拠を評価する上で問題がある点を指摘することになります。この指摘自体に、裁判官へ注意を喚起する効果も期待できるのです。
裁判は、証拠に基づき、証拠の評価を行う場です。それは、罪を認めている事件でも変わりません。量刑を決める上で大事な事実に関する証拠に、エラーがないかをチェックするのも、被告人の利益、そして刑事裁判の公正さを保つには重要な活動だと、私は確信しています。
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