「現実とファンタジーの区別はついている」の危うさ 児童ポルノと実際の加害行為の強い結びつきとは?

弁護士JP編集部

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「現実とファンタジーの区別はついている」の危うさ 児童ポルノと実際の加害行為の強い結びつきとは?
子どもへの性加害者らは“ほぼ全員”児童ポルノから何らかの影響を受けていたという…(Volodymyr Plysiuk / PIXTA)

年端も行かぬ幼い子どもを性の対象とする「小児性愛」の問題は、性をタブー視する日本社会のなかでも特に忌避され社会的議論につながってこなかった。

しかし近年、故ジャニー喜多川氏による男児への性加害が明らかになったほか、塾講師をはじめ教師やベビー(キッズ)シッターなど、子どもにとって身近な大人による加害行為も表面化してきた。

本連載では、小児性愛障害と診断され、子どもへの性加害を起こした者への治療に取り組む斉藤章佳氏(精神保健福祉士・社会福祉士)が、治療やカウンセリングを通じ実感した加害者特有の「認知の歪み」について解説する。

今回は、インターネットを中心にまん延する「児童ポルノ」が、加害者の認知の歪みに影響を及ぼす問題について解説する。(第4回/全5回)

※ この記事は、斉藤章佳氏による書籍『「小児性愛」という病――それは、愛ではない』(ブックマン社)より一部抜粋・構成しています。

児童ポルノの影響力

児童ポルノは、それを望む大人たちが性的な興奮や満足感を得るため、あるいは商業的な利益を得るために作られ、流通や譲渡がされるものです。そうした一部の大人にとってはメリットがあるものですが、子どもにとっていいことはひとつもありません。児童ポルノの被写体となるのはまぎれもなく性被害です。

被害に遭った子どもがひとりいる、これだけでも大問題です。性暴力被害について「1 is too many」という言葉があります。被害を受けたのがひとりでも多すぎる、ひとりの被害者も出してはいけない、という意味です。

児童ポルノの問題は、ひとりの被害者の存在によりほかにも被害者が生まれるかもしれない可能性を秘めているというところにあります。

私たちがクリニックで行っているのは、再犯防止を目的とした治療プログラムです。その観点からも、いまの社会で児童ポルノの影響力は非常に甘く見積もられていると感じます。

これまで私が直接的、間接的に関わってきた子どもへの性加害者らはほぼ全員、児童ポルノから何らかの影響を受けています。まず、これまでクリニックに通院した者117人のうち112人に児童ポルノ動画や画像を見てマスターベーションをした経験があります。児童ポルノに触れたことがないという加害者のほうが、稀(まれ)なのです。

たとえば、盗撮の問題行動があってクリニックに通っている者が全員、事前に盗撮に関するポルノを見ているわけではありません。

痴漢についても同じことがいえます。痴漢が常習化すると痴漢モノのAVなどを毎日のように見ることになるケースはめずらしくないにしても、最初に痴漢行為に手を染める前にそうしたものを見ていたかというと、全員がそうだとはいえないのです。痴漢は、満員電車でたまたま女性の身体に触れてしまい、その衝撃からはまってしまった、というケースが多く、「もともと痴漢に興味があって、いつかやってみたいと思っていた」者はどちらかというと少数派です。またそのような動画を模倣(もほう)して行動化する痴漢は多くはないこともわかっています。

それらと比べると、児童ポルノと実際の加害行為の結びつきは圧倒的に強いように見えます。

児童ポルノを見ているからといって現実の子どもに加害をするとは限らない――これは断言できます。しかしそれを理由に、加害者らが100%に近い割合で児童ポルノを見ていたという事実を矮小化することはできません。

児童ポルノの「製造」と「所持」

児童ポルノ禁止法をめぐっては、「児童ポルノの製造や運搬、提供、陳列だけでなく単純所持をも懲罰(ちょうばつ)の対象とするのは、表現者・創作者を委縮させ、文化や自由な表現を後退させるものではないか」という意見がみられます。

1996年の法律施行時には「児童ポルノを所持した者」は懲罰の対象になっていませんでした。2014年に改正されて単純保持についての事項が追加されましたが、その前には賛成派と反対派による激しい意見の衝突がありました。

児童ポルノ禁止法第7条「児童ポルノ所持」の規定(e-Gov法令検索より)

児童ポルノの製造が懲罰の対象になるということに対して異論がある人は少ないと思います……が、そうでもないようです。製造の現場には被害児童がいますから、製造に携わる者は関わり方に程度の差こそあれ加害者といえます。しかし“表現の自由”として法律で取り締まることに反対する意見があります。

ヘイトスピーチに対しても表現の自由を主張する声は根強くありましたが、2016年にヘイトスピーチ解消法(正式には、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)ができました。他者を攻撃し、貶(おとし)め、その尊厳を奪うことは表現ではなく、暴力です。人に暴力を振るう自由などあっていいはずがありません。

同じく子どもの人生を大きく左右しかねないほどの搾取、加害行為をすることも“表現”とはいえないでしょう。これもまた暴力、虐待行為でしかないことを関わっている人たちはよく自覚しなければなりません。子ども自身が同意していたといっても、その子がこの先受けるであろう苦痛や将来にかけての影響を理解しないままの同意は、真の同意とはいえません。

子どもへの加害行為を前提として製造されたものを流通、インターネットなどで拡散させることもまた違法とされるのは、納得がいきます。一連の流れに関わることは表現でもなんでもないでしょう。

「現実とファンタジーの区別はついている」はホント?

ではそうした児童ポルノを“所持する”ことについてはどう考えればいいでしょう。

単純所持とはその目的が「自己の性的好奇心を満たす目的」である場合に限られています。研究や報道を目的として所持している場合は該当しません。また「自己の意思に基づいて所持するに至った者であり、かつ、当該者であることが明らかに認められる者」のみが懲罰の対象になります。つまり「嫌がらせなどで、その人が所有するパソコンに児童ポルノの動画を入れておいた」などの場合はこれに当たらないということです。

法改正以降、単純所持で検挙される数は大幅に増えています。しかしこれもまた氷山の一角であることはいうまでもありません。

加害者臨床の現場では、単純所持についてはどう捉えているのか。先に結論をいうと、法律で禁止されることは妥当であると考えています。

個人の性的嗜好を法で規制することの是非を問う声があります。児童ポルノの製造が表現の自由なら、所持するのも自由だという主張です。しかし、彼らが楽しんでいるものは子どもの犠牲のうえに成り立っています。そうした児童ポルノに需要があるという前提のもと、また新たな児童ポルノが製造され、被害者が増えます。“個人のお楽しみ”で片づけていい話ではないのです。

「現実とファンタジーの区別はついている。児童ポルノを見ても、実際の子どもに手をかけるなんてことはない」というのは、典型的な認知の歪みのひとつです。自身が子どもに加害行為をしてなくても、それに加担している事実に蓋をしています。

(第5回に続く)

  • この記事は、書籍発刊時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
書籍画像

「小児性愛」という病 ――それは愛ではない

斉藤 章佳
ブックマン社

子どもが性暴力の被害者になる悲劇
150人を超える小児性犯罪者に関わってきた
著者が語る、加害者の心理とは?

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