「原因は被害者にある」性加害者が持つ“認知の歪み”が強化される 社会全体の危うい空気感

弁護士JP編集部

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「原因は被害者にある」性加害者が持つ“認知の歪み”が強化される 社会全体の危うい空気感
千葉小3女児殺害事件で強制わいせつ致死などの罪に問われた男性は、裁判で「(被害児童の)親の責任です」といった発言をしたといわれる(EKAKI / PIXTA)

年端も行かぬ幼い子どもを性の対象とする「小児性愛」の問題は、性をタブー視する日本社会のなかでも特に忌避され社会的議論につながってこなかった。

しかし近年、故ジャニー喜多川氏による男児への性加害が明らかになったほか、塾講師をはじめ教師やベビー(キッズ)シッターなど、子どもにとって身近な大人による加害行為も表面化してきた。

本連載では、小児性愛障害と診断され、子どもへの性加害を起こした者への治療に取り組む斉藤章佳氏(精神保健福祉士・社会福祉士)が、治療やカウンセリングを通じ実感した加害者特有の「認知の歪み」について解説する。

今回は、加害者の認知の歪みが、本人の行動や社会規範と“連動”し強化されていく様子を紹介する。(第3回/全5回)

※ この記事は、斉藤章佳氏による書籍『「小児性愛」という病――それは、愛ではない』(ブックマン社)より一部抜粋・構成しています。

強化されていく“認知の歪み”

子どもへの性的嗜好を持つ者が、たったひとつの認知の歪みしか持っていないということはあまりなく、だいたいいくつもの歪みが見られます。

最近では、行動化の段階において認知の歪みも連続性をもって変化すると考えられるようになりました。これを私は「認知の歪みのスペクトラム」と呼んでいます。どのように移り変わっていくのか、例をもとに考えましょう。

行動化前:自分は大人の女性に相手にされないから、子どもに手を出すしかないんだ。
行動化中:この子はまだ小さいのに、セックスが好きなようだ。どんどん気持ちよくなってきている。
行動化後:何をしても騒がなかったってことは、この子は自分のことが好きに違いない。ふたりは純愛で結ばれている!

このように、自分がしようとしていること、していること、してしまったことを、それぞれの段階で正当化しながら加害のプロセスを前に進めていきます。ひとつの歪みが次の歪みへとつながり、行動化に向けてどんどん背中を押されていきます。

行動化前の緊張や葛藤、行動化中の高揚感、行動化後の後悔や罪悪感、そしてその後にくる次の行動化への渇望(かつぼう)感……といった具合に認知の歪みが連動していくのです。もうひとつ例を挙げましょう。

行動化前:大人の女性とつき合うだけのステータスが僕にはないから、無条件に受け入れてくれる子どもとセックスするのは仕方ないよ。
行動化中:これはいずれ経験することだし、僕が先に教えてあげているだけなんだ。
行動化後:やっぱり今回も無抵抗だったから、あの子も僕との関係を望んでいたんだね! もっと素直に関係を求めてくればいいのに、恥ずかしがり屋なんだなぁ。

「セカンドレイプ」は性加害者の“認知の歪み”と同じ

対象行為が子どもへの性加害行為なので問題ですが、こうした心の動きは、実は誰にでもあるものです。

みなさんがダイエットするつもりだとします。けれど、やっぱり好きなものを食べたい。そんなときは、こう思うのではないでしょうか。

「明日からダイエットするから、今夜は焼肉を食べちゃおう!」

これは翌日からの食事制限に対する決意表明ではなく、いま高カロリーのものを食べる自分を正当化しているのです。完食したら「明日からダイエットがんばろう!」のひと言で、いま焼肉を食べたのを“なかったこと”にするでしょう。

このように、認知の歪みとは、子どもを性対象とする者たちだけが持っているものではありません。現実を自分の都合のいいように解釈し問題行動を継続することは、誰にとってもあらゆる場面で起きることです。

もしかすると自分たちも、いまの時点でなんらかの歪みを抱えているかもしれません。そう考えると彼らを安易に「異常」と見なし、自分たちとは別種の人間と線を引いて遠ざけることはできないと感じます。

ひとりひとりの認知の歪みは、社会全体の歪みにつながります。

社会の歪みが引き起こす「セカンドレイプ」

性犯罪において「原因は被害者にある」という考えは、小児性犯罪に限らず性暴力加害をした者に共通の、認知の歪みだと先述しました。しかしこれが彼らだけに限った話でないことは、性暴力事件について報道されると必ず、広く社会全体から被害者の落ち度を責める声が噴出することからもわかります。

女性の側に落ち度があったのではないか、男性が「誘われている」と勘違いしてもおかしくない行動をしていたのではないか、夜道をひとりで歩いていたのではないか、酔っ払っていたのではないか……。これらは性犯罪発生の原因を被害者に求める、いわゆる自己責任論であり、二次加害(セカンドレイプ)そのものです。

何度もくり返しますが、性犯罪が起きる理由は加害者にあります。家の鍵が空いていたからといって、空き巣に入るのは犯罪です。家の鍵を空けていた人が悪いと責められることは、まずありません。同じようにどこを歩いていても何を着ていても、性加害していい理由にはなりません。この考えが社会で少しずつ共有され始めてはいますが、いまだ被害者を責める声は大きいと感じます。

被害に遭ったのが小さな子どもの場合、その子自身の自己責任が問われることはほとんどありません。乱暴な言い方をすると「変態が子どもを毒牙にかけた」と思われる場合が、ほとんどです。低年齢であればあるほど、そうした声は上がりません。が、10代半ばになると事情が変わるようです。

2018年に有名タレントが自室に女子高校生を呼び出し、強制わいせつを行った容疑で書類送検されたときは、「自分から部屋に行ったのに被害者ぶるなんて」「有名人と近づきたかったくせに」と被害者が激しくバッシングされました。高校生ですから16~18歳、まだ子どもです。「キスされたくらいで騒ぎすぎだ」など被害を矮小化(わいしょうか)する声も多かったと記憶しています。こうしたセカンドレイプは、性加害者らが抱える認知の歪みとそっくり同じだと感じます。

加害者にとって都合の良い社会の歪み

被害に遭った子が低年齢であれば、その保護者、特に母親の責任が問われる傾向にあります。親が子どもをひとりにしているときに被害に遭えば「目を離していたからだ」、服装によっては「子どもらしくない、マセた服装をさせるから、加害者を刺激したんだ」などのように、子どもの被害の原因を作ったのは親であるといわんばかりです。

これも加害者にとって非常に都合のいい発想です。

2017年に発生した千葉小3女児殺害事件で強制わいせつ致死、殺人などの罪に問われた男性は、裁判員裁判で検察側に対して、「(被害児童の)親の責任です」「(親が)守っていればこんなことにはならなかったと思う」「ひとりで行かせたから事件に遭った」といった主旨の発言をしたと報道されています。

「子どもが親の目を離れている」というのと「性暴力被害に遭う」のあいだには、本来まったく因果関係がありません。しかし両者をつなげて「子どもが性暴力被害に遭うのは、親のせい」という認知が広まることで、メリットがあるのは誰でしょうか。そのことを、社会全体でいま一度考える必要があると思います。

第4回に続く

  • この記事は、書籍発刊時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
書籍画像

「小児性愛」という病 ――それは愛ではない

斉藤 章佳
ブックマン社

子どもが性暴力の被害者になる悲劇
150人を超える小児性犯罪者に関わってきた
著者が語る、加害者の心理とは?

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