
「頭がなくなる」まで殴られ看守死亡… アメリカ極悪刑務所 “終身刑の囚人”による「ハンパない」暴動の中身

映画「HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~」や連載中の漫画「チカーノKEI〜米国極悪刑務所を生き抜いた日本人〜」などで知られるKEIさん。
現在はボランティア活動や、ファッションなどのプロデュースを手がけているが、かつては「ヤクザ」として悪の道を突き進んでいた。
その結果、KEIさんは覚醒剤密売の容疑によってFBIのおとり捜査で逮捕され、アメリカの刑務所の中でも凶悪犯罪者が集まる「レベル4」や、終身刑を受けた囚人だらけの「レベル5」の刑務所で計10年以上収監されることになった。
本記事では、KEIさんが実体験したアメリカ極悪刑務所内の文化や出来事などを紹介。連載第5回目は、KEIさんが経験した“ハンパじゃない”暴動の話を紹介する。(全5回)
※この記事はKEIさんの書籍『アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人 改訂版』(東京キララ社)より一部抜粋・構成。
暴動中、囚人に狙われた看守たち
1996年、自分がランパークにいたときにも囚人たちによる暴動が発生した。この規模はオレゴンのときとは比較にならないぐらい大きなものだった。このときはお巡りが8人殺された。
プリズンでは基本的に囚人とお巡りは平等とはいえ、実際は囚人の立場の方が強い。だからプリズンで暴動が起こると、ここぞとばかりにこん棒とかで囚人を殴るお巡りがいる。
だが報復もそこまで。あっと言う間に囚人にこん棒を取り上げられ、形勢逆転してしまう。アメリカの囚人は毎日、体を鍛えているからメチャメチャ強いのだ。
お巡りのなかに囚人に対して厳しくて嫌われていたヤツがいたのだが、そいつは足が悪かった。以前、囚人に足を刺されてから、びっこを引いて歩いていたのだ。そういったこともあったから、余計に囚人に対して厳しくあたっていたんだと思う。
そいつはどんな小さなことでも絶対に許さなくて、自分も20回ぐらい独居に入れられたことがある。
ランパークで暴動が起きたときには火炎瓶が飛び交い、ベッドは燃やされ、プリズン中が火の海となった。みんな興奮状態で、女の看守はその辺でレイプされていた。その囚人から嫌われているお巡りは、300人くらいの囚人に追いかけられて、野球のグラウンドを片足を引きずりながら走って逃げていた。
だけど結局、野球場の真ん中で捕まってしまい、バットで頭がなくなってしまうまで殴られて、死んでしまった。
毎年10月に何かしらの問題が…
ランパークのような終身刑の囚人ばかりのプリズンでは、「これ以上刑が増えようが、どうせ一生、塀の外には出られないから」とばかりに、暴動の激しさもハンパではなかった。
このときの暴動は映像が残っていて、大きなニュースにもなったのだが、自分が見たなかでも一番大きな暴動だった。暴動の原因は法律の改正問題だった。オレゴンで暴動が起こったときも、クリントンが選挙公約を守らずに、恩赦の日数が増えなかったことが原因だ。毎年10月の法律改正の時期になると、何かしらの問題が起きるのだ。
この大暴動が武力で鎮圧されると、囚人は全員部屋に閉じ込められ、すべてのドアがロックダウンされた。これから半年間、一歩も部屋から出られず、朝昼晩サンドイッチの生活となる。
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