殺人にも”ランク”がある…”殺人ピラミッド”の頂点に君臨する「謀殺」とは

弁護士JP編集部

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殺人にも”ランク”がある…”殺人ピラミッド”の頂点に君臨する「謀殺」とは
重大な過失による故殺という概念の発展で、医療現場や、一時期は道路上などで発生する死も対象に( 花火 / PIXTA)

車を運転中に人をひき殺した、医療事故で患者が死亡、企業が社員を長時間残業残業で働かせ続け自殺に追い込んだ…。人を殺すことは悪いことだ。このことにだれも異論はないだろう。だが、殺すに至った背景までを判断材料とした場合、殺人の責任の所在や重みは変わってくる。

いまでは罪の種類も多層化しているが、その昔はずっとシンプルだった。例えば、組織や団体が法律で非合法と認定される殺人の範囲に含まれるようになったのは比較的最近だ。それまでは殺人の定義はおおざっぱで、ましてや法律による裁きの範囲はより限定的だった。

殺人は、いつの時代も小説や映画ではテーマとして引っ張りだこだ。超えてはいけない一線を超える人間の心理に、多くの人が興味を持たずにはいられないからだろう。

そうした感性による各々による殺しの分析があるとして、実際に「罪」として裁く際には、法律によって適正な判断がなされる。「それは裁判官がやることだ」、と他人事に捉えてはいけない。裁判員制度(2009年5月~)では、一部重大な犯罪において、国民が裁判員として有罪か無罪かを審理することもある。

いざ「自分事」と考えたとき、より正確に殺人の背景を知り、殺人にも”種類”があることを学ぶ必要性を少しは感じないだろうか。そうした教材はないに等しいが、イギリスの現役弁護士、ケイト・モーガンが、殺人という罪が規定されゆくプロセスを実際の犯罪を交え、興味深くまとめた一冊がある。

今回はその中から、「殺人の定義とその重さを決めるもの」にフォーカスし、殺人罪の深みに迫る。

(#2/全4回)

※この記事はケイト・モーガン氏による書籍『殺人者たちの「罪」と「罰」』(近藤隆文・古森科子訳、草思社)より一部抜粋・構成しています。

2種類の殺人…「謀殺」と「故殺」の違い

殺人 (homicide)」という包括的な用語の下には多数の犯罪が、凶悪さ、責任の重さ、ひい ては悪名の高さの降順に並んでいる。この恐ろしい山の頂上にあるのが謀殺で、これは被害者を殺害する、あるいは深刻な危害を加える意図の存在によって定義されるものだ。

すべての謀殺は殺人だが、すべての殺人が謀殺というわけではない。謀殺の下にあるのは故殺で、後述するように、「すべての犯罪のなかで故殺はどうやら最も定義が難しい。多種多様な状況下の殺人に関わるからである」。

それどころか、故殺罪が適用される人間の悲劇の範囲は、本来は謀殺的なものからほぼ偶然のものまで多岐にわたる。 故人の敵対的な行動に応じて故意に殺害する者から、不注意や怠慢のため自分の行動がもたらす結果に留意しない者にまでおよぶのだ。

殺人の概念の発展で医療現場や企業なども有罪に

重大な過失による故殺という概念が発展することで、どんなときに、誰によって故殺が犯されるかの発想が広くなり、従来、殺人とは縁遠かった状況、たとえば、医療現場や、一時期は道路上などで発生する死もここに取り込まれてきた。

これによって20世紀には多くの企業を有罪とする道も開かれ、粗悪な雇用慣行や公共の安全の軽視から死亡事故を起こす組織や団体が法律で非合法と認定される殺人の範囲に含まれるようになっている。

最後に、この〝殺人ピラミッド"はほかの犯罪からなる幅広い基盤に支えられている。それは謀殺や故殺の法的要件を満たさない特定の状況下の死にかかわるもの、交通死亡事故で生じる運転過失致死、嬰児殺し、安全衛生法に基づく一部の犯罪などだ。

こうした犯罪はさほど重大ではないとみなされることが多い。謀殺法からは離れているが、そこに由来し、つながってはいる。またいとこの子といったところだろうか。

謀殺罪を構成する2つの要素

クックが定義した謀殺罪は、ふたつの要素で構成される。当時もいまも、謀殺の有罪宣告を するには、陪審が双方について合理的な疑いを超えて納得しなければならない。ひとつめの要素は他人を殺害することで、法律用語では「犯罪行為 (actus reus)」 つまり、 禁止行為と呼ばれる。

ふたつめは精神的な要素、すなわち「犯罪意図 (mens rea)」だ。これは要するに、罪を犯す意図であり、ここから犯罪の「責任」という概念が生まれる。

謀殺で有罪になるには、 人を殺すだけでは不充分で、故意に行なったものでなければならない。概して、意図的な行為のみ犯罪とされるべきだからだ。クックの言葉を借りれば、「当事者によって表明され、または法によって暗に示される計画的犯意をもって」なされた殺人ということになる。

「殺意」の有無を決める、たった一つの条件

「計画的犯意」という表現は辞書にも載 り、長年にわたって数多くの娯楽作品のタイトルとなってきた〔計画的犯意=malice aforethought は 「殺意」とも訳される」。だが、一方で謀殺法について最もありがちな誤解を生み、今日でもこの犯罪に関する論争や討議に大きく影響をおよぼ している。

クックの「計画的犯意」の現代的な解釈は、「殺害する、あるいは重大な身体的危 害を加える意図」である。大衆文化では、それが事前の計画への執心に翻案されてきた。これは意図があることを示す強力な証拠となる反面、定義上の必要条件ではない。

殺害に先立って アイスピックを購入したり、ジョギング中や犬の散歩中の人がつまずきそうな浅い墓穴をここ ぞという場所に掘ったりしておく必要はない。重要なのはひとつ、死に到る行為の時点で何を意図していたかだ。その意図が引き金を引く直前に初めて明確になっていようが、つぎの瞬間 には人の命を奪うことの重大さに気づいて消えていようが関係ない。

1955年、恋人デイ ヴィッド・ブレイクリーの殺害容疑で裁判にかけられた際、ルース・エリスは、このあと見て いくように、訴追側から彼を撃ったときの意図を問われた。彼女の答えはおそらく、法廷で発せられた最も明快かつ簡潔な謀殺の犯罪意図の表明であり、これが自身の破滅を招いたものと思われる――「決まっています。彼を撃ったとき、わたしは彼を殺すつもりでした」。

(#3に続く)

書籍画像

殺人者たちの「罪」と「罰」: イギリスにおける人殺しと裁判の歴史(草思社)

ケイト・モーガン (著), 近藤 隆文 (翻訳), 古森 科子 (翻訳)
草思社

人を殺した人間は、 どのように裁かれるべきなのか?
――殺人にいたる理由をどこまで視野に入れるべきか?
――外的な圧力や絶望的な状況は殺人の理由になるか?
――殺害する意図がなかった場合の罪をどう考えるべきか?
――責任能力の概念をどのように適応すべきか?
――法人による殺人をどう裁くことができるか?
過去に起きた驚愕の事件の数々を俎上にのせ、 人命を奪った人間の「罪」と「罰」が定義され、 分類されるプロセスを明らかにするスリリングな考察。 正しい「裁き」をめぐる社会意識の変遷を浮き彫りにする異色の社会史!

  • この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいて執筆しております。

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