法に触れるリスクは未解決…それでも「内密出産」が必要な理由

弁護士JP編集部

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法に触れるリスクは未解決…それでも「内密出産」が必要な理由
慈恵病院に設置されている「こうのとりのゆりかご」(画像:慈恵病院提供)

「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」が誕生して、5月10日で丸15年を迎える。赤ちゃんを産んだものの、やむを得ない事情で手放さざるを得ない親が匿名で預け入れ、第三者に赤ちゃんの未来を託すことができるこの仕組み。今では広く知られるようになったが、全国で設置されている場所は熊本市にある慈恵病院ただ一カ所のみだ。

慈恵病院が、こうのとりのゆりかごから一歩踏み込んだ取り組みとして2019年に開始したのが、妊婦に身元を明かすことを求めない「内密出産」。これにより、何らかの事情で周囲に妊娠を打ち明けられない人が、医療者の立ち会わない環境で「孤立出産」することや、産み落とした赤ちゃんを殺害・遺棄する事件を防ぐことが期待されるが、そこには法律の穴が多く潜んでいる。

法制度の保障がないなか、慈恵病院では2021年12月に初めて内密出産で赤ちゃんが誕生した。戸籍の作成、母体に万が一のことがあった場合の責任、出産費用の負担、子の出自を知る権利…。山積みの課題を解決するべく、法整備を求めて地元の熊本市や国に働きかけを続ける慈恵病院・蓮田健院長に、内密出産の現在地を聞いた。

こうのとりのゆりかごを通して見えた「本質的な問題」

こうのとりのゆりかごは、2007年からの15年間で159人の赤ちゃんを保護してきた。そのなかで蓮田院長が感じたものは手応えではなく、「本質的な問題が解決できていない」という歯がゆさだった。

弁護士JPのインタビューに応じる慈恵病院・蓮田健院長

「赤ちゃんを預け入れる女性の多くは、妊娠の事実を誰にも相談できず、孤立出産をしていました。大量の出血を伴う出産をたった一人ですることは、母子ともに命の危険が高い。死産となってしまうケースもあります」(蓮田院長)

母親たちは赤ちゃんを預け入れたものの、その場を去ることができず、こうのとりのゆりかごの前で立ち尽くしていることも珍しくないという。彼女たちを院内に招き入れて話を聞くうちに、共通する背景が見えてきた。

内側から見た「こうのとりのゆりかご」。保育器(ベッド)に赤ちゃんを置いて扉を閉めると、外から開けることはできなくなる(画像:慈恵病院提供)

「話を聞くことができた母親の8〜9割には『発達障害』『知的障害』『被虐待経験』『親との関係』のいずれかの問題が当てはまります。彼女たちは『こうのとりのゆりかごに預け入れる』という選択肢にたどり着けたものの、そうでないケースでは、孤立出産後に赤ちゃんを殺害したり、遺棄したりする事件も起きている。その現状を解決するための取り組みとして、内密出産の受け入れを始めました」(蓮田院長)

ところがそこに立ちふさがったのが、法律の壁だった。

4つの法的課題

内密出産のように母親が身元を明かさない出産については、ドイツやフランスが先進国として知られている。ドイツには「内密出産法」が、フランスには民法などを根拠とする「匿名出産制度」があり、分娩費用や出生登録などの扱いについて法整備がなされているのだ。

一方、現在の日本には内密出産を保障する法律が存在しない。身元を明かさずに出産すること自体を「罪」とする法律はないものの、出産やその後の手続きにかかわる何かしらの行為が法に触れる可能性は十分に秘めている。

慈恵病院では、2021年12月に生まれた赤ちゃんが内密出産の初事例となった。今後、事例が増えるにつれて様々な課題が出てくると予想されるが、現在のところ指摘されている法的課題を紹介する。

・出生届、戸籍

戸籍を作るためには通常、子どもが生まれた日から14日以内に市区町村長へ出生届を提出しなければならない。出生届には親の名を記載する欄があるが、病院が母親の名を知っているにもかかわらず(※1)空欄で提出した場合、刑法第157条「公正証書原本不実記載罪」(※2)に問われる可能性があると指摘されていた。

(※1)慈恵病院では内密出産で生まれた子の「出自を知る権利」を担保するために、母親の名前がわかる書類を金庫に保管している。医師は母親の名を知ってしまわないよう、書類の情報を把握していないものの、熊本地方法務局は公正証書原本不実記載罪の抵触について「捜査機関が個別に判断することで、回答しかねる」としている

(※2)公正証書原本不実記載罪:公務員に対し虚偽の申立てをして、登記簿、戸籍簿その他の権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ、又は権利若しくは義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に不実の記録をさせた者は、五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する(刑法第157条)

この問題については、熊本地方法務局が「出生届を提出しなくても市区町村長の職権で戸籍を作成できる」「戸籍法で定められた『出生から14日以内』に出生届を提出しなかったとしても、医師に過料は科されない」と回答したことから、出生届を提出せずに熊本市長の権限で戸籍を作成することになった。

今後、内密出産における出生届・戸籍の扱いを盤石にするには、十分な協議・検討を重ねた上で、法整備やガイドラインを作成する必要があるだろう。

・帝王切開の同意書

出産は、常に帝王切開の可能性と隣り合わせだ。場合によっては心臓手術より大量出血となることから、通常は本人と家族が同意書に署名した上で手術に取り掛かるという。

しかし、内密出産では家族に署名を求めることができない。「家族に黙って手術をして、万が一妊婦が帰らぬ人になった場合、病院はいろいろな責任を負うことになると思う。損害賠償請求訴訟を起こされてもおかしくない」と蓮田院長は言う。ましてや妊婦が未成年だった場合、問題はさらに複雑になるだろう。

・出産前後の費用

健康保険証を提示しなければ、出産時に健康保険の給付を受けることができず、高額な費用を自己負担しなければならない。しかし、健康保険証には氏名や生年月日をはじめとする個人情報が記載されており、提示すれば身元が特定できてしまう。

ドイツでは国が、フランスでは医療機関が所在する県が負担しているが、日本では現状、内密出産を実施する慈恵病院が費用負担している。

・子の出自を知る権利

親の「身元を隠したい」という気持ちに対して、子の「出自を知りたい」と思う気持ちも尊重されるべきだろう。

2021年12月の内密出産で、慈恵病院は母親の名前がわかる書類を保管することができた。しかし、その書類を子がいくつになったら開示するのか、母親が開示を拒否した場合はどうするのかについては、議論がなされていない。おそらく今後、母親が自身の名前がわかる書類を提供することを拒むケースも出てくるはずだ。

「『子の出自を知る権利』については、一般的な養子縁組でも難しい部分です。例えば不倫の末にできた子だった場合、その子の存在が知れることで平穏な暮らしが乱されるということもある。ただし、どんなケースであっても『いつの間にか母親と連絡が取れなくなっていた』という事態は避けなければならない。そのために、法制度によって行政や病院が母親の身元情報をどう保管するか定めることは不可欠です」(蓮田院長)

ドイツでは、子どもが16歳になると出自証明書の閲覧が可能になり、母親が拒否した場合は家庭裁判所が最終判断する。フランスには、個人的ルーツへのアクセスを専門とする国家諮問委員会(CNAOP)があり、母親への承諾や開示に関する手続きを請け負っている。

左はドイツ、右はフランスにおける「子どもの権利保障」。いずれも法に基づいた施策だ(画像:三菱UFJリサーチ&コンサルティング「妊娠を他者に知られたくない女性に対する海外の法・制度に関する調査研究」より)

ガイドライン作成へ。法相、厚労相が前向きな姿勢

日本における内密出産は始まったばかりだが、事例が一つできたことで、当初は消極的だった熊本市とも協議が活発に行われるようになった。

また2月25日の参院予算委員会では、伊藤孝恵議員(国民民主党)が内密出産の法整備について質問。古川禎久法務大臣と後藤茂之厚生労働大臣は、法整備についてともに慎重な構えを見せつつも、ガイドライン作成には前向きな姿勢を示した。

同予算委員会には、蓮田院長も参考人として出席。第一例目の内密出産や、こうのとりのゆりかごの経験を語るとともに「(乳児死体遺棄などの)事件を防ぐという意味では皆さんにご迷惑をかけることになると思うが、赤ちゃんには罪も責任もない」と理解を求めた。

2月25日の参院予算委員会で参考人として発言する蓮田院長(画像:立憲民主党 国会情報より)

慈恵病院では、望まない妊娠に悩んでいる方からの相談を電話とメールで24時間、無料で受け付けている。

熊本市にある慈恵病院(画像:慈恵病院提供)

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