教義は“都合よく解釈”できるように作られている… 信者がつい陥ってしまう“単純な思考回路”

弁護士JP編集部

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教義は“都合よく解釈”できるように作られている… 信者がつい陥ってしまう“単純な思考回路”
信じたくないものを信じないだけ…?(Graphs / PIXTA)

世間から「問題がある」とされている宗教に、なぜ入信するのだろうか。

多くの人にはピンとこない話かもしれないが、“内側”にいた人たちの証言からその体験世界をのぞけば、誰もが「狂信」する可能性にドキリとするかもしれない。

本連載では、宗教2世の「当事者」であり、問題に深く関心を持つ「共事者」でもある文学研究者が、宗教1世と宗教2世へのインタビューをもとに、彼らの「狂信」の内側に迫る。

第4回目は、信者たちが自身の信じるもの、信じたくないものを都合よく解釈する「確証バイアス」と「認知的不協和」について紹介する。

(#5に続く)

※ この記事は、文学研究者・横道誠氏による書籍『あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』(太田出版)より一部抜粋・構成。

確証バイアスと認知的不協和

何かを信じている人は、信念を裏打ちするような証拠を積極的に追いもとめ、逆に信念をくつがえすような証拠を集めることには消極的な傾向を持つ。これは「確証バイアス」と呼ばれている。

私の場合は、小学校高学年のときに、エホバの証人の副読本で自然科学や古代史に関する記述に関心を抱いたものの、図書館で調べてもエホバの証人の主張を傍証できなかったことから、この教団のかずかずの欺瞞(ぎまん)を知るようになった。

それに気づいた上で、母親を含む信者たちの発言に耳を傾けていると、信じたいことは信じる、信じたくないことは信じないというだけだという単純な思考回路を見てとれるようになった。「確証バイアス」という言葉を知らないまま、この概念を理解できるようになったのだ。

また信念が揺らぐとき、人はその揺らぎを解消するために、信念を揺るがせているものを過小評価したり、窮地に立たされたじぶんの認知を修正して立てなおそうとしたりする。あるいは、じぶんの態度や言動を変更しようと対策する。このような現象をもたらす信念の揺らぎをアメリカの心理学者レオン・フェスティンガーは、「認知的不協和」と呼んだ。

認知的不協和を解消するシステム

グレーさんは、人は信じたいものを信じているだけ、というのはどんな宗教の信者でも同じではないかと語る。じぶんなりの判断で論理的に説明されていると感じたら、それを信じてしまう。

エホバの証人の内部で、背教的なウェブサイトに気をつけましょうと注意喚起されていて、そういうものを見ないように身を守っていた。少しずつ、この教団はおかしいと思うことが出てきても、じぶんが信じるものがまちがいであってほしくないと考え、じぶんでじぶんの疑惑を揉み消していた。

ちざわりんさんは語る。

 

ちざわりん エホバの証人では、信者に認知的不協和が起きても、解消できるメカニズムが働くようになっています。教義が、ちょっとした矛盾に強く、都合よく解釈できるように作られているからです。教団が世の中で批判されていても、「終わりの日が近いのだから、正しいじぶんたちが迫害されるのは当然だ」などと言って、正当化して誤魔化すことができます。実際、安倍元首相の銃撃事件以降に宗教2世問題が騒がれるようになって、エホバの証人への批判が高まりましたから、信者たちは「終わりの日」について期待しながら語っています。

はるかさんは、神さまが創造した段階から人間が罪を犯して遠くに離れたのだから、罪を埋めあわせる「蕩滅(とうめつ)」をしなければならないという統一教会の教義を信じていた。教義に矛盾を感じることがあっても、じぶんだって昨日と今日で言ってることが違う場合がある、などと考えて、矛盾を重要視しないことにしていた。

あきこさんにも確証バイアスはあった。摂理は統一教会と似ていて、「食事をすると肉は育つけど、霊は育たない。神に関する話を聞くと、霊が育つ」と教えている。だから矛盾は神に関する話を聞くことで解消するというシステムだった。ヒエラルキーが確固としているので、布教を担当する大学ごとにリーダーがいて、「とにかく相談しなさい」と指示されていた。勝手に判断するのは「NG」だった。あきこさんは「報連相だらけの宗教文化ができあがっていた」と振りかえる。

(第5回目に続く)

  • この記事は、書籍発刊時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
書籍画像

あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究

横道誠
太田出版

内側からの狂信論 宗教、スピリチュアル、自己啓発、マルチ商法、 陰謀論、自然派カルト、ネトウヨ言説… 「真理」を求める人たちを、どうして軽んじられるだろうか――。 宗教2世(エホバの証人2世)として過酷な幼少期を経験し、現在、宗教2世のために自助グループの運営にも尽力する文学研究者の著者が、宗教1世(自らカルト宗教などに入信した人)と宗教2世10名にインタビュー。その証言や、幻想文学、そして自身や自身の母親の経験をもとに、「他人」としてではなく、「当事者」として、また問題に深く関心を持つ味方「共事者」として、「狂信」の内側に迫る。

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