このテーマに向き合うのに「47年必要だった」 映画監督・三島有紀子が描く【人間の中に巣食う罪の意識】

望月 ふみ

望月 ふみ

このテーマに向き合うのに「47年必要だった」 映画監督・三島有紀子が描く【人間の中に巣食う罪の意識】
『一月の声に歓びを刻め』が公開中の三島有紀子監督(撮影:望月ふみ)

三島有紀子監督が、オリジナル脚本で挑んだ10作目の劇場長編『一月の声に歓びを刻め』が公開中だ。

1992年にNHKに入局し、『NHKスペシャル』『アジア発見』『トップランナー』などのドキュメンタリー作品を多く企画・監督。退局後に東映京都撮影所などで助監督を経て、劇映画監督となり、国内外を問わず多くの賞を受けた『幼な子われらに生まれ』(2017)や、『Red』(2020)などで知られる三島監督。その最新作である本作は、監督自身が幼少期に受けたある事件をモチーフに、自主映画企画としてスタートした意欲作である。

北海道の洞爺湖、東京の八丈島、大阪の堂島を舞台に3つの物語が進んでいく本作。洞爺湖篇では理不尽な想いで自ら命を断った娘を忘れられない初老のマキ(カルーセル麻紀)、八丈島篇では妻を交通事故で亡くし、さらに娘の妊娠に動揺する誠(哀川翔)、さらに東京に出た娘(松本妃代)がかつて犯罪を犯した人物の子どもを宿して帰ってくる、そして堂島篇では、6歳のときに性暴力により尊厳を傷つけられ、そのトラウマから恋人とも触れ合えずに生きてきた女性れいこ(前田敦子)を中心に据えた。

過去の事件と向き合うことから始め作品に昇華させた三島監督に、制作のきっかけとなった出来事について、3篇構成にした理由、観客から届いた感想についてなどじっくりと話を聞いた。

制作のきっかけは現場を“見てしまった”こと

本作の制作は、短編映画プロジェクト『MIRRORLIAR FILMS Season2』(2021)で三島監督が佐藤浩市さん主演で撮られた『IMPERIAL大阪堂島出入橋』がきっかけだったそうですね。

三島有紀子監督(以下、三島):そうです。それまでは(出身地の)大阪でロケをすることを、ある種避けてきました。私自身の身に起きた6歳のときのことをやるならきちんと向き合いたいと思っていたからです。でも『IMPERIAL大阪堂島出入橋』は、実際のお店で撮影することに意味があったので、どうしても大阪で撮らなければならない作品でした。それで、大阪に踏み込むことになったんです。

ロケハンに行ったときに、(6歳のときに起きた事件の)犯行現場の近くのカフェに入りました。もともとは建物があったので、直接現場は見えないはずでしたが、建物が取り壊されていて、カフェの窓から現場が“見えてしまった”んです。その時、一緒に映画を作っている山嵜晋平さん(プロデューサー)に、「実は昔、あそこでこういうことがあって」と淡々と話すことができた。

そこで「今、私は(事件の場所を見ながら)淡々と話せている」と気づいたことで、事件と向き合える時期が来たのかもしれないと感じました。そこまでに47年必要だったわけですけど。

作品で見つめたかった “罪の意識”

れいこ(前田敦子)が歩く大阪の街は“モノクロ”の世界(c)bouquet garni films

監督自身がもっとも強く投影されていると感じる大阪篇のみ、モノクロームで撮られています。大阪というにぎやかな街の特性や、登場する花のイメージもあり、余計にモノクロで撮られていることが際立っていました。

三島:事件の後、世界から色がなくなってモノクロになったことがあります。現実社会は全てモノクロで、映画館で映画を見ているときだけがカラーでした。映画を観るようになってすぐに世界はカラフルだと思うようになりましたが、前田敦子さんの演じた架空の人物であるれいこは30歳で、久しぶりに大阪に帰ってきた設定。そのときれいこには大阪はどう見えるだろう、もしかしたらモノクロなのかもしれないと。きっと簡単にカラーになることはないだろうと思いました。

れいこが口にする「なんで私が罪を感じなきゃいけないんだよ。やられたの私じゃん」との言葉が刺さりました。被害者が持ってしまう罪悪感を表した言葉です。

三島:作品を作るにあたって、自分の6歳のときのことから考え始めましたが、そのことをそのまま映画化するつもりはありませんでした。ではそのことを通じて、自分は何を見つめたいのだろう、一番の核はなんだろうと考えたとき、今おっしゃっていただいたセリフが核だと思ったんです。

被害者の“罪の意識”を見つめられる映画を作ろうと思いました。傷つけられた人、傷つけられた人の家族が持ってしまう罪の意識を見つめる映画です。

なぜ“被害者”以外も描いたのか

本作は3篇で構成されています。なぜ3つの物語を描こうと思われたのですか?

三島:大阪篇のれいこだけで1本の映画にすることもできたかもしれません。でも自分はそうしたいとは思わなかった。もうちょっと多角的に見られたらいいなと思ったんです。たとえば、傷つけられた被害者がもし自ら命を絶ってしまったら、残された家族はどういう罪の意識を感じるだろうと考え、そこからカルーセル麻紀さんが演じた役が生まれていきました。でも大阪篇も洞爺湖篇もどちらも“傷つけられた側”なので、さらに罪を犯す側はどうだろうとも考えました。

そこから八丈島篇が生まれたんですね。

三島:最初は性的に誰かを傷つける人を考えてみたものの、自分の中で全然深まっていかなかったんです。そこでもっと自分事として考えてみました。自分は傷つけられて生きてきたと思っているけれど、誰かを傷つけていることもたくさんあるわけです。生きていれば傷も増えていくけれど、同時に罪も重ねていく。

まさに、八丈島篇に登場した「人間なんてみんな罪人だ」につながりますね。

三島:はい。日常の中で生まれそうな罪を考えていきました。そこから妻の延命治療を続けるのか選択を迫られた夫であり、かつて罪を犯した人間の子どもを宿してしまった娘の父という、哀川翔さん演じる誠の物語が生まれていったんです。一方で、誠や娘の海の結婚相手が、かつて性的な罪を生んだ人で、そんな罪人も誰かを愛し誰かにとっては大切な人である、という見方をしてくださる方もいます。

誠(哀川翔)もまた“罪の意識”を抱えて生きる(c)bouquet garni films

タイトルに込めた意味

『一月の声に歓びを刻め』のタイトルにある“歓びを刻め”との前向きな言葉に力強さを感じます。どうしてこのタイトルに決めたのでしょうか。

三島:撮影している最中に、これは“声”の映画だなと感じるようになりました。この物語は1月から始まりますが、1月には何か特別にしようとした人間の文化を感じます。新しい1年、新しい何かがスタートする月。そう思ったときに、まず「一月の声」というフレーズが浮かびました。

次に「一月の声」がどうなればいいと願いながら自分は作っているのだろうと考えて、1月に聞こえる声、発せられる声がたとえ辛いものであったとしても誰かを想うことに歓びを刻んでもらえたら… “歓びを刻め”ということだなと。それでこの非常に長いタイトルになりました(苦笑)。

“声”しかり、本作は3篇をつなぐ水の存在も印象的です。特にカルーセル麻紀さん演じるマキの湖での叫びのすさまじさと存在感は、まばたきができないほどでした。

三島:あの場面でのワンカット演技は、基本的にカルーセルさんにお任せしましたが、私自身の水への捉え方が特に大きく変わった瞬間でした。今までにも私は水のカットを結構撮ってきましたが、生と死は常に背中合わせだとの思いで撮っていました。水は黄泉(よみ)の国への入り口であり、死への入り口だと。

でも今回の作品で、その捉え方が大きく変わりました。島と島を結ぶものが海であり、船が走れば通い合うこともできる。水は誰かとつながるものなんだと。中でも変化を感じたのが、カルーセルさんが湖に手を入れたときでした。あの手の先には誰かがいて、たとえば娘のれいこ、大阪のれいこ、八丈島の誠、いろんな人につながっているかもしれないと感じました。

私はこの作品で、物理的には聞こえない声が、共鳴し合っている者同士には聞こえていることだってあるかもしれないと信じて撮っていたので、カルーセルさんが湖に手を入れてくれた瞬間に、“誰かとつながるもの”と水の存在がすごく合致したんです。

亡き娘に対する“罪悪感”を体当たりで表現したカルーセル麻紀(c)bouquet garni films

届いた観客からの“声”

現在、映画は公開中です。届いた観客からの声で印象的だったものを教えてください。

三島:小さな頃に私と同じような経験をされた、もしくはされかけて怖い思いをしたという方の多くが、カルーセルさん演じるマキの「お前は美しい」の言葉に救われたと言ってくださってうれしかったです。

あとは、そんな経験がなくても、すごく重い映画のはずなのに、心が軽くなって、抱きしめられるような気持ちになったという感想もうれしかったですし、肉体や五感を感じる映画でもあるので、見たあとにすごくご飯を食べたくなったと言ってくださる方もいました。

それから「Interesting」の意味で面白いなと思ったのが、20代の男性の感想です。トト(坂東龍汰)がれいこの話を聞いているのに、何も言ってあげないことにイライラしていたそうなんです。もっと「大丈夫だよ」とか「大したことじゃないよ」「別に汚れてないよ」とかさっさと言ってやれよと思っていたと。でも最後にトトが、彼女が引っこ抜いた花と一緒に、自分がスケッチしたれいこの顔、つまり過去のれいこを一緒に燃やすのを見たとき、自分はすごく上から目線で見ていたと感じたそうです。同じ地平に立って一緒に何か解決していく、時間をかけて寄り添っていくという人との接し方もあるんだと気づいたと言ってくれました。

本当にいろんな方がさまざまな発見をしてくださっている映画です。性別も年齢も関係なく、いろんな人に見てもらいたいですね。

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