「アームレスリング」を通した青少年の立ち直り支援に誹謗中傷も… 不良の“たまり場”を「居場所」に変えた男の戦い

倉本 菜生

倉本 菜生

「アームレスリング」を通した青少年の立ち直り支援に誹謗中傷も… 不良の“たまり場”を「居場所」に変えた男の戦い
警固公園で「アームレスリング」体験会を開く小野本さん(写真提供:SFD21JAPAN)

九州最大の繁華街、福岡市の天神地区。休日には九州のあちこちから若者が集まり、人があふれるこの地で、「体づくりを通した青少年の立ち直り支援」を行っている人物がいる。NPO法人「SFD21JAPAN」の理事長、小野本道治さんだ。

非行や不登校・ひきこもりなど、生きづらさを抱える若者の“居場所づくり”と、自立に向けた就労支援などを行っている。その活動の中心となるのが、毎月第4土曜日に福岡市天神の警固公園で開かれている公開アームレスリング体験会だ。

「腕大学 天神校」と名付けられたイベントは毎回多くの人を集め、今や地元の名物になりつつある。そこに訪れるのは、物珍しさにつられた通行人だけではない。家や学校に居場所がない少年少女らが、支援の手を求めてやってくるのだ。

子どもの頃はスポーツ少年で、自身も不登校を経験したという小野本さん。「腕大学」の開催に至るまでには、“非行少年を排斥する地域社会との長い戦い”があったという。

“ヤンキーのたまり場”から始まった活動

SFD21JAPANは、福岡市のさまざまな団体や行政機関と連携しながら、行き場のない若者に必要な支援につなげるコーディネートを行っている。発足したのは、今から23年前の2001年。きっかけは小野本さんの自宅ジム(福岡市西区)に若者が集まり始めたことだった。

「当時僕はボディービルの大会に出ていて、自宅の倉庫をトレーニングルームにしていました。最初は友人たちと一緒に筋トレしていたんですが、ある年の夏休み、近所の人から息子を預かってほしいと相談されて。その子がばりっばりの“ヤンキー”だったんです」

中学3年生だったその少年は、部活を引退後、親が手を焼くほど「力を持て余していた」らしい。小野本さんは、夏休みの日中、自宅ジムで少年とともにトレーニングをすることになった。

「大人ばかりの空間で子どもひとりが不安だったのか、『友達を誘ってもいいか』と言われました。そこからヤンキーの間で『あそこに行けば大人が話を聞いてくれる』とクチコミが広がり、少年たちがどんどん集まるようになったんです」

集まった若者たちの話を聞いたり、悩みを一緒に解決しようと取り組んだりしているうちに、ジムは自然と若者たちの“居場所”になっていった。

若者でにぎわう自宅ジム(写真提供:SFD21JAPAN)

「あいつはAV男優だ」誹謗中傷で活動妨害も

小野本さんはSFD21JAPANを創設し、青少年の立ち直り支援を本格的に始めていった。しかし団体の発足から10年間は、苦難の連続だったという。

「活動に対して地域の方々から理解が得られず、叩かれ続けていました。当時は居場所づくりの民間団体はめずらしく、非行少年たちに対応するのは警察などの行政機関ばかり。あるとき地域の集まりに呼ばれて行くと、青少年育成に関わる行政機関の方々が僕を待っていたんです」

当時地域のPTA会長もしていた小野本さんは、「活動について褒められるのかなと、わくわくして行った」と語る。しかし待っていたのは、「あなたは何をやっているんですか? この街に“ゴミ”を集めないでください」という心無い言葉だった。

「当時西区では、九州大学の伊都キャンパス移転計画が進んでいました。それまで福岡市の各地に散らばっていたキャンパスを、西区に統合移転しようというものです。駅も新設され近くに大型の商業施設もできました。『この街はこれから良い街に変わるのに、不良を集めたら荒れる。ゴミの吹きだまりを作らないでほしい』と言われてしまったんです」

クチコミで広がった小野本さんのジムには、あちこちから家庭や学校に居場所のない少年少女たちが訪れるようになっていた。ジムで鍛えた若者たちの中には、格闘技大会で優勝する者も現れた。しかし「居場所づくり」という言葉がない時代、地域の人にとって小野本さんたちは「何をしているのかよく分からない」ものとして映っていたのだ。

「僕は大学を中退しているんですが、『大学中退のあなたに何ができるのか』『素行の悪い子どもがいるなら警察に通報するのがルールだ』『悪い男の子が警察に捕まれば、悪い女の子はよそに彼氏を作ってこの街を出ていく。それでいいんだから手を差し伸べるな』など、散々な言われようでした」

バッシングに負けず「地域や行政には限界がある。民間団体が必要だ」と立ち直り支援を続けた小野本さんだったが、「解散しろ」「この街から出ていけ」といった投書が自宅ポストに投げ込まれるようになる。さらには「小野本はアダルトビデオの男優をやっていた」など、いわれのない誹謗中傷を流された。

「腕大学」開設のヒントは“アメリカでの取り組み”

「僕も何とかして活動を認めてもらいたくて。その時ひらめいたのが、今につながる“公開アームレスリング”です。ヒントとなったのはアメリカでの取り組み。不良のたまり場になっていたバスケットコートに当番制でプロのバスケ選手を置き、朝まで一緒にバスケをする。そうするとたまり場が居場所に変わったというニュースをラジオで知って。なら、それをアームレスリングでやろうと考えました」

九大学研都市駅横のイオンモールに場所を借り、アームレスリング台を持ち込む形で開催しようと考えた。しかし、施設や地域など 、各方面に許可取りをする段階で大反対を食らってしまう。理由はやはり、「街の治安を荒らすな」だった。

「地元での開催を諦めかけていたとき、福岡市役所の生活安全課から『警固公園に防犯を目的とした安全安心センターを作る。場所を貸すので、若者の非行が増えている警固公園の改革のために、何かやってくれませんか』とお話がきました。市役所のバックアップを受ける形で、警固公園での公開アームレスリング大会が始まりました」

毎月第4土曜日の16時から21時にかけて開催される公開アームレスリング。開催を重ねるごとに参加者が増えていき、昨年12月には過去最多となる222人を記録した。

222人が「アームレスリング」で競い合った(写真提供:SFD21JAPAN)

「1年間の参加者の60%が10代。ここ1年は女の子が多いです。いわゆる“警固キッズ”たちですね。『SFDやろ? 何かちょうだい、支援して』と声をかけてくる子もいます。ジムも公開アームレスリングも、未成年の頃から来てくれて今はスタッフとして手伝ってくれている子が多いです」

「もらった恩を返したい」と、小野本さんのもとで更生した少年が荒れている後輩を連れてくることもあるそうだ。

23年間、さまざまな若者たちの悩みや状況を解決するために、複数の団体や行政と連携しながら必要な支援をコーディネートしてきた小野本さん。時には親と子の仲介役となり、社会復帰のためのサポートを行ってきた。今後は「立ち直り支援に関わる平成生まれの若者を育てたい」と話す。

「社会福祉士や精神保健福祉士など、資格と知識を持っている子はたくさんいるんですよ。だけど、現場で直接当事者と関わった経験が少ないから、知恵が出ないんです。僕がいなくなったときのために、平成生まれの人たちに先頭に立って活動していってほしい。そのためにも、彼らに経験の機会を与えていけたらと考えています」

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