最高裁で弁論『宮本から君へ』助成金取り消し訴訟 原告「日本の文化芸術にとって極めて意義が大きい」

杉本 穂高

杉本 穂高

最高裁で弁論『宮本から君へ』助成金取り消し訴訟 原告「日本の文化芸術にとって極めて意義が大きい」
最高裁での弁論後、記者会見に臨む原告弁護団(10月13日都内/杉本穂高)

出演者が麻薬取締法違反で逮捕されたことを理由に、文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会(芸文振)」が助成金の交付を取りやめたのは違法であるとして、映画『宮本から君へ』を制作した株式会社スターサンズが起こした訴訟の上告審(弁論)が10月13日、最高裁第2小法廷(尾島明裁判長)にて開かれた。

本訴訟は、芸文振が一度内定した助成金1000万円の交付を、出演者の逮捕後に取り消したことは不当であるとして起こされた。一審では、不交付決定は「(行政の)裁量権の範囲の逸脱、またはその乱用にあたり違法」と見なされスターサンズ側が勝訴したが、二審では助成金の交付に関する芸文振の裁量権を広く認める判決が下され、芸文振側の逆転勝訴となった。スターサンズ側はこれを不服として上告、最高裁で争われることとなった。

最終弁論の争点は?

最高裁弁論で争点となったのは、一審と二審で判断が分かれた芸文振の「裁量権」だ。原告側は、芸術文化の助成金が「公益性の観点」という曖昧な基準で不交付が決定されることは、社会に広く大きな衝撃を与え、過度な萎縮効果を生じさせたと主張。

一方、芸文振は映画出演者の逮捕は、当時広く報道され国民の関心も高い状態であったことから、(映画を助成すると)国が違法薬物犯罪に対して寛容な態度だと思われかねないため、交付の取り消しは裁量権の合理的な行使であると主張した。

原告側は、本事案は直接的には助成金交付に関わるものだが、実質的に憲法問題も含んでいるとして、憲法21条1項が保証する「表現の自由」の侵害に当たり得るという法学者蟻川恒正教授(日本大学法科大学院)の意見書を提出。「公益性」は規制する権力側のさじ加減で拡大解釈が可能な曖昧な概念であり、さまざまな表現活動が規制される恐れがあると述べた。

一度内定した助成金交付を覆す処分を行う場合はあくまで例外であり、公益性が考慮されるとしても極めて厳格に判断されるべきであり、本件の場合なら麻薬の広がりを抑制する見地から放置できないほどの悪影響があると判断できなければならないとした。

文化助成について初の最高裁判例となる

原告弁護団は、弁論後に司法記者クラブにて記者会見を行った。

芸文振側は弁論の中で、助成金交付の取り消しによってスターサンズ側が被った損害は限定的だったと主張、その根拠として『宮本から君へ』は交付金を受け取る際にはすでに完成していたことや不交付となっても劇場公開され、さらに出演者の事務所から損害金として1000万円を受け取ったことを挙げた。

しかし弁護団は会見で、この主張は実態に即していないと反論。スターサンズが事務所から損害金を受け取ったのは不交付処分から半年後であり、その期間、資金のやりくりは非常に苦しく、予算不足で満足な宣伝活動ができなかったという。芸文振側がそうした事実を無視しているのは遺憾だとした。

また、本裁判は芸術文化の助成のあり方について、初めて最高裁が判断をくだすことになるため、日本の文化芸術にとって極めて意義が大きなものになるという。

二審の原判決が確定してしまうと「公益性(の定義)が極めて曖昧かつ不明確であり、公益性の名のもとで政治的メッセージを含んだ作品が規制されかねない」と弁護団は懸念する。助成金の取り消しは直接的に表現の検閲とはならないが、畏縮をまねくという点で実質的に表現の自由を侵害する恐れがあるとする。

判決の見通しについて弁護団の伊藤真弁護士は、「裁判長から公益性の枠組みに関する補充質問もあったことから、公益性の基準を明確にした上で今回の処分には蓋然(がいぜん)性がないと判断してくれるのではと期待している」と話す。

訴訟を提起した当時のスターサンズ代表、河村光庸氏は昨年亡くなっている。弁護団の四宮隆史弁護士は、「河村さんが示した表現の自由を守る思いが結実するのかと思うと感慨深い」と語った。

判決は11月17日に下される予定だ。

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