JAL解雇から11年の闘い「納得できない」元機長コロナ禍の訴え

弁護士JP編集部

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JAL解雇から11年の闘い「納得できない」元機長コロナ禍の訴え
山口さんが機長として乗務していたボーイング747と同型の機体(写真:kozack / PIXTA)

全国の変異株オミクロンの拡大によって、新型コロナウイルス感染症 は「第6波」に突入した。首都圏のまん延防止等重点措置の適用も決定し、客足が戻りつつあった観光・旅行業界への影響を心配する声も少なくない。

日本航空(JAL)は昨年(2021年)、新型コロナウイルスによる影響で訪日需要も落ち込み旅客数が激減、経営破綻した2010年以降では、過去最大となる2866億円(2021年3月期連結決算)の赤字計上を発表。2022年もこの状況が続けば、早期退職募集、整理解雇、雇い止めが避けられない状況に陥る可能性もゼロではない。

元JALパイロット「争議の解決」国土交通省に申し立て

先月12月9日、2010年日本航空が経営破綻した際に整理解雇された元パイロットらで結成された労働組合JAL被解雇者組合(JHU)が、国土交通省を相手取って、東京都労働委員会に不当労働行為救済の申し立てを行った。

当時日本航空の破綻と再建は国土交通省(国交省)が主導となって進められていた。そのため国交省には「一部使用者性」があり、解雇争議の解決に向けて指導する責任があるとして、団体交渉を申し入れていたが、「国は労働組合法7条の使用者にあたらない。整理解雇問題は個別企業の問題であり、行政が対応するのは適切でない」と拒否されたための申し立てである。

会見でJHU委員長の山口宏弥さんは「国交省を敵視しているのではない。当事者同士で解決できなくなっている。争議の解決に役割を果たしてもらいたい」と話した。

2010年大晦日に断行された165名の解雇については二つの裁判で争われた。また長年にわたり労使協議で解決を目指したが膠着状態となっており、闘いは2021年の年末で丸11年を経過した。

山口さんらは不当労働行為救済の申し立て後に記者会見を行った(12月9日厚生労働省/弁護士JP)

「命がいくつあっても足りない」

日本航空の元機長(パイロット)山口宏弥さんは、1972年に日本航空パイロット訓練生として入社。セカンド・オフィサー(航空機関士)、副操縦士などの経験を経て、1991年からボーイング747(ジャンボ機)などの機長となった。

日頃乗務をしながら、副操縦士時代に日本航空乗員組合委員長に、その後は機長組合執行委員や航空労組連絡会議長なども歴任し、「物言う管理職(※機長当時は管理職)」として、安全問題や労働環境の改善を訴える活動も行っていた。

組合活動のきっかけは、1977年1月に発生した日本航空貨物機のアンカレッジ墜落事故。貨物機の搭載物はすべて生きた牛で、しかも49頭がバラ積みであった。同日、牛輸送の貨物便が2便で、もう一つの便に乗務した。当時の牛輸送(収納)方式はアメリカ側まかせで、日本では厳格に定められておらず、離陸直後に機体が傾き、荷崩れ状態となり機体の安定性を失ったことが事故原因であった。

ところが、事故後に機長の眼球からアルコール反応が検出されたことから、それが主原因であるかのような報道がなされ、事故は「機長の酔っ払い操縦が原因」との世論がつくられたと山口さんは指摘する。もし自分が事故機に乗務していたらどうなっただろうか。「物を言わなかったら」命がいくつあっても足りないと考えるようになり、この事故が組合活動に正面から取り組む転機となった(その後輸送方式は変更された)。

パイロット時代は国際線を中心に乗務(写真:本人提供)

経営破綻、そして整理解雇

山口さんが乗員として勤務していた日本航空は日本のフラッグキャリアとして確固たる地位を築き、だれもがうらやむ企業のひとつであった。しかし、ホテル・リゾート事業など本業以外への投資や、米ドルや原油の先物買いの失敗などに加えて、バブル経済崩壊後、高コスト体質やリーマン・ショックによる不況が重なり財政が徐々に悪化した。2009年に前原誠司国土交通大臣(当時)が招集した企業再生の専門家集団「JAL再生タスクフォース(TF)」の調査によって実質債務超過に陥っていたことが明らかになる。

2010年1月19日、日本航空は東京地裁へ会社更生法にもとづく更生手続きを申し立てる。実質の経営破綻。グループ全体の負債総額は2.3兆円にものぼった。早期退職募集などのリストラが進められ、パイロット、キャビンアテンダント(CA)、事務職などグループ全体で約1万6000人が会社を去る。さらには同年12月9日には整理解雇予告を通知、12月31日にパイロットとCA計165人が整理解雇された。

当時機長組合に属していた山口さんも、定年まで1年と少し(当時58歳)を残してその中のひとりとなった。

地位確認訴訟では敗訴したが…

リストラ、公的資金の投入、銀行団による債権放棄などによる荒療治により、解雇時点では史上最高の1586億円の営業利益を計上していたにも関わらず、何でクビを切られたのか。機長は55歳以上のベテランが対象で、解雇された18人の機長の多くが労働組合役員の経験者だった。「物言う労働者の排除」「組合つぶし」のためにターゲットになったのではと山口さんは憤る。

翌2011年1月19日には、職場復帰と補償を求め、乗員・客乗(客室乗務員)両原告団が地位確認訴訟(不当解雇の撤回)を起こした。人員削減目標を達成し、目標の3倍近い利益も挙げていることから、原告団内には「勝てるに決まっている。早くもどりたい。」という思いがあった。結果は、一審、二審と敗訴、2015年2月4日に最高裁が上告棄却、「解雇の合理性」が認められた。「裁判所が選任した管財人を相手に『整理解雇4要件』だけを争点にした闘いは甘かった」と山口さんは振り返る。

一方、管財人(弁護士)が、2010年11月の労使交渉中に労働組合に介入した事件は、東京都労働委員会(都労委)から不当労働行為と認定された。会社側は「命令の取り消し」を求めて行政訴訟を起こしたものの、一審、二審と敗訴。2016年9月23日に最高裁は「不当労働行為、団結権侵害、憲法28条違反」との高裁判決を確定、JALは最高裁で断罪された。

2018年4月には赤坂社長が就任、「解雇争議について、できるだけ早期に解決したい」と前向きな方針を表明した。その後、労使間で特別協議は19回を数えているが、未だに膠着状態で解決への道筋は見えていない。

国会前での活動の様子(写真:本人提供)

生活費のためアルバイトしながら活動している原告も

山口さんは解雇以降、争議団の活動が中心の生活となった。国内LCCや中国・アジアの航空会社などからの誘いもあったが、栃木に暮す家族の意向などもあり、断った。自分は労組の委員長も経験してきたこともあり、活動を放り出せなかったとも語る。

破綻以降、日本航空の企業年金支給額は以前の水準の70%にまで下がった。しかし、これは退職勧奨に応じた場合である。希望退職に応じなかった場合は47%の水準まで切り下げられた。生活費を補うためにアルバイトしながら活動している原告も多い。

争議団の財政(交通費や印刷費など)は支援者によるカンパで補ってきた。また物品販売などにも力を入れ、一時は原告の活動手当にも充てた。他の団体などと“持ちつ持たれつ”の争議団生活を送ってきている。

「ご苦労様でした」の一言もなく、紙一枚で解雇された

機長や後輩の副操縦士で、条件が揃ったパイロットはLCCなどへ再就職した。乗務機種が変わるとライセンスの再取得が必要になる。争議が長引き、新たな課題も発生している。

たとえば、仮に他社で機長に昇格したパイロットが日本航空へ原職復帰した場合、副操縦士に戻ることになる。機長と副操縦士の乗務手当の水準は、ほぼ10対6。かつての職場への原職復帰が必ずしも現実的ではない。11年が経過して、被解雇者は置かれている状況によって要求は様々である。

それらを考慮すれば、165名の人権と権利の回復とともに、現実的な解決の落としどころの中心は納得のいく補償にならざるを得ない。パイロットは高給だから「リストラ」されても大丈夫だと思われがちだが、失職の打撃は大きい。

山口さんは35年間、機長としても19年間、何よりも安全を第一に乗務してきたが、「ご苦労様でした」の一言もなく、紙一枚で解雇された。安全軽視、働く権利を奪った解雇であり、到底納得できるものではない。

空の安全の基本は知識・技量・経験とチームワーク。ベテランパイロットを年齢基準で根こそぎ放り出すという安全軽視の経営姿勢は航空会社にあってはならない。新型コロナウイルス感染症の拡大によって、再び厳しい経営状況が続く航空業界。同じことを繰り返さないよう、過去の解雇問題の解決が、未曾有の危機を乗り越えるヒントにもなり得るのではと山口さんは訴える。

2月17日には東京都労働委員会で5回目の調査が入る(同日国土交通省への調査も予定されている)。争議の全面解決をめざす闘いは続く。

山口さんは「空の安全は知識・技量・経験とチームワークが基本」と語る(写真:弁護士JP)
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