「カバンにしては柔らかいような」痴漢に遭った女子高生が「絶対に捕まえてやろう」と決意したワケ

弁護士JP編集部

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「カバンにしては柔らかいような」痴漢に遭った女子高生が「絶対に捕まえてやろう」と決意したワケ
写真はイメージです(T2 / PIXTA)

新型コロナの行動制限解除とともに、痴漢の検挙件数が増加傾向にあります。警察庁が今年5月に公表した調査結果によれば、2022年中の痴漢の検挙件数は2233件と、3年ぶりに2000件台となりました(2019年は2789件、2020年は1915件、2021年は1931件)。

痴漢で逮捕された後、容疑者(法律用語では「被疑者」)にはどのようなことが待ち受けているのでしょうか。一方で、痴漢をめぐる冤罪事件が話題になることもありますが、その背景・課題として指摘される取り調べや捜査では、どのようなことが行われているのでしょうか。この記事では、被害者、弁護士、検察官それぞれの視点から「小説」の形式で見ていきます。

第1回目は、被害者の女子高生・井藤果歩が“いつもと変わらないはずだった”通学電車で、事件に遭遇するまでを紹介します。(#2に続く

※この記事は実際に弁護士として活躍する筆者による書籍『痴漢を弁護する理由』(日本評論社)より一部抜粋・構成。

いつもどおりの朝

10月に入って3日目、冬用の制服を着るとまだ少し汗ばむ陽気の中、私はいつものように赤羽駅まで歩いて向かっていた。夏の制服は明るいブルーのスカートだが、冬は暗めのグレーのスカートになる。友達はブルーのほうがかわいいなんて言うけれど、私はグレーのほうが大人っぽくて気に入っている。だから衣替えの時期になると、少しくらい暑くても冬用の制服を着てしまう。

私は、いつもどおりの道を歩き、いつもどおりに赤羽駅の階段を上った。7時10分。時間もぴったりいつも通りだ。新宿にある私の学校まですぐに着ける。

ところが、改札を通って電光掲示板を見ると、いつもと違って電車のダイヤが表示されていなかった。

写真はイメージです(tarousite / PIXTA)

──また人身事故か……──

湘南新宿ラインは、小さい頃から使っている馴染みのある電車だ。ただ、その頃は人身事故なんて気にしたこともなかった。高校に入ってから毎日電車に乗るようになったのだから当然のことだけれども、最近は特に気になるようになった。この路線は沿線距離も長いためか、ひとたび人身事故が起きれば、完全な復旧までには時間がかかり、その間電車はとても混雑する。

駅のホームは、人であふれていた。スーツ姿の男性たちも、同じくオフィスに向かうであろう女性たちも、一様に機嫌が悪そうだ。会社に電話をかけて状況を説明している人、スマートフォンで別のルートを検索している人、みんなが慌ただしい。

こうした人身事故の対策というわけではないが、私は日頃から比較的時間に余裕をもって通学をしている。高校3年になって受験生となった今は塾も忙しい。だから学校についてはもっと適当でもいいのかもしれないと思うこともある。高校生活は3年の夏休み前まで、あとは受験に集中! 塾でもそんなことを平気でいう先生が少なくない。実際に、学校の友達は夏休み明けになって急に遅刻や欠席が増えてきている気がする。

今日の人身事故は、朝早い時間に発生していたらしく、電車はわりとすぐに来た。前に並んでいたサラリーマンたちが、一気に乗り込んでいく。私も無理をすれば乗れたと思うが、一本見送ることにした。この暑い中、あんなギュウギュウ詰めで、誰ともわからない人と密着したまま新宿まで行くのはとても耐えられない。一本後なら少し空いているかもしれないし、学校にも余裕で間に合う。

写真はイメージです(tarousite / PIXTA)

次の電車も、それほど間を空けずに駅に入ってきた。予想通り、さっきの電車よりは少しすいていた。電車内で単語帳くらいは開けるかもしれない。私は、背中に背負っていたリュックをお腹側に抱えるようにして、単語帳をすぐに取り出せるようにスタンバイした。

リュックを前に抱えるのは、満員電車で通学するときの基本だ。一度、背負っていたリュックが人に挟まって、なすすべもなくホームまで引きずり降ろされたことがある。後ろ向きのままホームに引きずり降ろされ、バランスを崩して尻モチをつくという、女子高生としては思い出したくもない失態だった。それ以来、満員電車に乗るときには、このスタイルを崩していない。

今朝は、列の前の方にいたこともあり、スムーズに電車に乗り込むことができそうだった。

と、思ったのも束の間で、車内に一歩踏み入れた次の瞬間、後ろから一気に車内に押し込まれた。思わず振り返ると、前の電車を一本見送った時よりも、むしろたくさんの人が後ろに並んでいたようだった。油断した隙を突かれ、対応が遅れてしまった。

ドア付近から椅子の方に逃げたけれど、つり革を確保するような余裕もない。目の前で立ち止まったサラリーマンを押しのけることもできず、そのまま後から乗り込んでくる人達に挟まれて、動けなくなってしまった。

身長が155㎝しかない私は、このレベルの満員電車に乗ると、とにかく体を固くして縮こまっているしかなくなってしまう。周りを見てみると、見事にサラリーマンに囲まれている。右も左も後ろも、体のいたるところが人と触れている。単語帳どころか、携帯すらいじれるような状況ではなかった。

写真はイメージです(ソライロ / PIXTA)

事件との遭遇

ドアが二度、三度と開け閉めを繰り返し、やっと電車が出発した。

次の池袋駅までは一駅だが、比較的時間が長い。リュックを前に抱えているので、前のおじさんとの密着は避けられてはいるが、池袋で人が入れ替わるまでこのまま耐えるしかない。憂鬱だ。とにかく早くこの状況から解放されたくて仕方がなかった。

動き出した電車の中で、頭に冷たい風が吹き付けてきた。まだこの季節は冷房がついているようだ。電車の冷房の風は、いつもはとても寒く感じてむしろ不快だが、こんな満員電車の中ではとてもありがたい。誰かのあからさまな溜息や、つり革のきしむ音だけが聞こえていた。

一駅進んで、池袋駅に到着した。少しは人が減るかと思ったが、私の周りの人はあまり降りなかった。むしろ、新たに乗ってきた人の方が多いくらいだった。体の向きも変えられず、周りにいる人たちの顔ぶれもほとんど変わっていないように思えた。あと一駅、あと一駅我慢すれば、この電車を降りられる。そう自分に言い聞かせながら、体を固くして立っていた。

やっと、電車が池袋駅を出発した。とにかく早く新宿駅に着いてほしい。さっさとこの満員電車を降りて、学校に逃げ込みたい。

私は、私の前をふさいでいる男の人達の肩越しに、ドアの上の車内広告を見ていた。最近の車両では、紙の広告だけでなく、動画広告が多くなってきた。初めて見たときにはそれなりに新鮮さもあったが、今では毎日同じような内容が繰り返されるだけで、正直そんなに気にはしていなかった。たまに、好きなタレントや、気になるイベントの告知などが流れると、それはそれで見入ってしまうときもあるのだが。私は何気なくその動画広告を見ながら、ただ電車が揺れるままに体を預けていた。

写真はイメージです(ユウスケ / PIXTA)

ふと、お尻の右側あたりで何かが動いている気がして我にかえった。誰かのカバンが当たっているにしては、柔らかいような感じがする。後ろの人の手だとしたら、電車の揺れで当たってしまっているだけだろうか?

それとも、……痴漢!?

私の頭を前に痴漢に遭ったときのことが駆け巡った。

私は、半年くらい前に一度だけ痴漢に遭ったことがある。

そのときも、最初はお尻の辺りに手を押し付けられるような感じだったけど、そのうちエスカレートしていった。たとえようのない気持ち悪さを感じたが、体が石のようになって動かず、声も出せなかった。私は目だけ動かして車内のどこかに救いの手はないか探した。他の乗客は身じろぎもせず、わずかに見える車窓とあみ棚の上の液晶画面だけが動いていた。そうする内に電車は駅に着いた。そして、誰が犯人かもわからないまま、何事もなかったかのように、乗客はホームに散っていった。

他の乗客とともに電車から押し出されるようにして解放され、やっと息を吐きだした私は、しばらくホームに立ちつくしていた。恐怖とも嫌悪ともいえるような、あるいはそのどちらとも少し違うような、そんな気持ちで呆然としていた。体は嫌な汗をかいていて、触られていたところも、それ以外も、とにかく気持ちが悪かった。

そのうち、なにか私だけが損をしたような気持ちが湧いてきて、やり場のない怒りすら覚え、そのときは、次に痴漢に遭ったら絶対に捕まえてやろうと決意していたのだった。

──私一人じゃなく、誰かが背中を押してくれれば捕まえられる、乗客じゃなくても誰か私に勇気を与えてくれればきっと──

第2回目に続く

■ 書籍情報
『痴漢を弁護する理由』
著者:大森 顕・山本 衛=編集
出版社:日本評論社

「痴漢」という犯罪に関わる者の苦悩と葛藤を通して、痴漢事件の内実、日本の刑事司法の問題を描き出す小説。

  • この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいて執筆しております。

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