「出自を知る権利を」赤ちゃん取り違え被害者が「加害者としての意識ない」東京都を訴える

弁護士JP編集部

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「出自を知る権利を」赤ちゃん取り違え被害者が「加害者としての意識ない」東京都を訴える
育ての父親と幼稚園頃の江藏さん

「おまえは家族の誰ともにていない」

1958年(昭和33年)に東京都立隅田産院において出生した直後、他の新生児と取り違えられた江藏智さん(63)が、5日、東京都を相手取り、産みの親の調査実施などを求めて提訴を行った。

58年4月10日に江藏さんの育ての親となる女性(89)が男の子を出産、同日に生まれた江藏さんを実の子と疑いを持たずに育て生活をしてきた。江藏さんは親戚らが集まると、「おまえは家族の誰ともにていない」と言われることが多かったというが、育ての母親が97年に血液検査をした際に、それまで不明だった血液型がB型と判明。

育ての母親と2~3歳頃の江藏さん

父親(故人)はO型、江藏さんはA型ということもあり、その後に親子の血縁に疑念が生まれ、04年に大学病院に親子関係の存否を判断するためのDNA鑑定を依頼。父母双方ともに生物学上の親子関係がないという結果となった。

「取り違えの事実」は確定したが東京都は一事実調査を拒否

育ての両親との親子関係が存在しないことがDNA鑑定の結果によって明確になっても、東京都の病院などの担当者は、「でっち上げだ」などとまともに取り合わなかった。このことから04年江藏さんと両親は、東京都を相手どり、不法行為による損害賠償請求訴訟を起こし、一審は請求を棄却されたものの、06年東京高裁が「取り違えの事実」および「東京都の賠償責任」について、都に2000万円の支払いを命じる判決を下し確定した。

もしかしたら見覚えのある人がいるかもしれないとマスクを取って撮影に応じる江藏さん(5日弁護士JP編集部)

今回は、この判決以後、東京都が取り違えに関して一切の事実調査を拒否、いまだ原告は生みの親と接触することができない状況にあることから、東京都に対して不法な干渉を受けない権利(自由規約17条1項)や産みの親の調査実施を求めて提訴したもの。

「自分は何物なのか、知りたい」

会見で小川隆太郎弁護士(代理人)は、「東京都の過誤によって真実の親に会えず、道義的な義務があるにも関わらず、その後の調査はしないのは、加害者としての意識がないのではないか。江藏さんは、住民台帳などを基に出生地近隣を訪ね歩いているが、個人的に調査も限界があり、「東京都」の調査は東京都以外はできない」と述べた。

黒塗りとなっている戸籍の附票を手にする小川隆太郎弁護士(5日弁護士JP編集部)

江藏さんが情報公開を求めた戸籍の附票(戸籍が作られてから現在までの住所(住民票)の変遷履歴を記録したもの)は、プライバシー保護の観点からほとんどが黒塗りであったという。個人調査を独自に進めたが、「個人的に住民基本台帳や民間業者の昭和33年4月生まれの名簿を買ったが、個人では限界があることを実感している。ただ、訪ねていった皆さんが温かく対応、応援もしてくれたことがとても救われた」と意外な反応とともにその困難さを語った。

代理人のひとり海渡雄一弁護士は、
「かつて行われた中国残留孤児の親探しは、ほとんど断片的な手掛かりを元に厚生労働省が大規模におこない、多くが産みの親との再会を果たした。100人くらいを訪ね歩けばどうにかなるのに、やらないのは東京都が作業を怠っていることは間違いない。

相手方家族のプライバシーを主張するが、真実を伝えて、どう対応するのかをみればよいだけ。求めていることは具体的で、やれない理由はない」と主張した。

江藏さんは、「体調も壊したしこのままでは死ねないという思いは強い。自分は何物なのか、知りたい」と訴え、産みの父母に対しては、「実の親は元気でいれば充分。実際に会ってみないとどのような感情がわくのか分からない」とその思いを語った。

提訴に対して東京都は「訴状が届いていないのでコメントできない」としている(11日現在)。

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