「救える命も救えない」自衛隊“災害派遣”を変えた阪神淡路大震災の教訓…支援活動を“強化”するため与えられた「特別な権限」とは?
昼は撮影や執筆活動にいそしむ傍ら、夜はバーを経営している武若雅哉(たけわか・まさや)氏。
武若氏はかつて、約10年間、陸上自衛官として数々の「災害派遣」に携わり、その後も軍事フォトライターとして自衛隊の活動を取材している。
本連載では災害派遣現場の実情を、武若氏自身の経験や取材を通じて紹介。第5回は災害派遣時における自衛官の権限について詳しく解説する。
現在でこそ、災害応急対策のために必要な権限が法律上明記されている自衛官だが、かつては「ほぼ何も権限がない状態での救援活動」を強いられていた。その転機となったのが1995年の阪神淡路大震災であった。
※この記事は武若雅哉氏の書籍『元自衛官が語る 災害派遣のリアル』(イカロス出版)より一部抜粋・構成。
阪神淡路大震災で自衛隊が得た教訓
今でこそ、災害派遣に従事する自衛官には、警察官職務執行法や、災害対策基本法に則って、ある程度の権限が付与されている。
しかし、最初からそうだったワケではなく、自衛隊創設からしばらくは、ほぼ何も権限がない状態での救援活動を強いられていた過去がある。
これでは救える命も救えないとして大きな問題になった。その契機となったのが、1995年(平成7年)の阪神淡路大震災だ。最大震度7を記録した大規模な地震で、東北から九州まで揺れを観測するほどであった。
のちの災害派遣に大きく影響することとなった教訓として「自衛隊の災害派遣に係る要請の簡略化」と「現地の自衛官が人命救助や障害物の除去等のために必要な措置を取れるよう、災害応急対策のために必要な権限を法律上明記すべき」ということが得られた。
そこで制定されたのが、自衛隊法94条「災害派遣時等の権限」だ。
災害現場では往々にして警察官がその場にいないことがある。現場の警察官は応急対応でてんてこ舞いであり、応援に来る広域緊急援助隊などの到着を待っていることができない場合もある。
さらにいえば、そもそも陸自駐屯地はほぼ全国に展開しており、所在人員も多いため、初動段階では警察官よりも動員できる人員の分母が大きい。そのため、現場で活動する自衛官にある程度の権限を与えているのが、この自衛隊法94条なのである。
具体的な内容は、警察官職務執行法の「住民の避難措置」、「他人の土地や建物への立入」となるが、これらの権限を行使できるのは「警察官がその場にいない限り」との条件が付与されている。
各自治体とも取り決め、やむを得ない場合は車両や物件も破壊
これ以外にも、各自治体との取り決めである防災計画等には以下の記述がある。
「災害派遣を命ぜられた部隊等の自衛官は、災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合は、町長等、警察官がその場にいない場合に限り、次の措置をとることができる」
1 警戒区域の設定並びにそれに基づく立入制限・禁止及び退去命令
2 他人の土地等の一時使用等
3 現場の被災工作物等の除去等
4 住民等を応急措置の業務に従事させること
このなかの4に記載された「住民等を応急措置の業務に従事させること」については、当然ながら強制ではなく、あくまでも任意の協力だ。
具体的なシーンとしては、水防活動などによる土嚢(どのう)運搬などが想定されるであろう。
なお、この活動中に協力していた住民が怪我をしたり死亡してしまった場合には、自衛隊ではなく自治体が補償することになっている。
さらには、災害対策基本法76条の3第3項に定められた「応急措置等」で規定されている「自衛隊用緊急通行車両の通行」と「円滑通行」を実現するため、通行禁止区域等において、車両や他の物件が緊急通行車両の妨害となり、災害応急対策の実行に著しい支障が生じる恐れがあると認められる場合には、その所有者に対して車両や物件の移動を要請することができる。
また、その車両や物件の所有者がその場におらず、警察官もいない場合には、自衛官の判断によって、やむを得ない程度において、その車両や物件を破壊することもできる。
頻繁に行われる自主派遣
通常、自衛隊の各部隊には担当すべき警備隊区が設定されている。そのため、災害が発生した場合には、まずは担当部隊が動き出すのだが、その災害の規模が大きいと予想された場合には、増援部隊が送られることがある。
たとえば南海トラフ地震が発生した場合、発生地点によって動きは若干異なるものの、各地に点在する部隊の前進目標(目的地)が定められている。関東南部でいえば富士・滝ヶ原・板妻・駒門などの各駐屯地、関西であれば今津・八尾などの駐屯地だ。
これらの駐屯地が前進目標となるため、主に北海道や東北などの部隊が目指してくる。また、激震が想定されている南海トラフ地震などの場合、被災地のインフラも大きなダメージを受けるであろう。その影響で、災害派遣の要請権者である都道府県知事などと連絡が取れないことも考えられる。
そのため、自衛隊の指定されている部隊長などは、要請がなくても部隊を派遣することができるように定められている。
これを自主派遣と呼ぶが、実際にこの自主派遣は頻繁に行われている。2016年(平成28年)に発生した熊本地震では、全国からの増援部隊が熊本に集中した。このなかには自主派遣した部隊も多いものの、のちの派遣要請によって通常の災害派遣へと切り替えて活動することになる。
増援を呼ぶ基準はあるものの、各地の部隊がほぼ同時に動き出すため、イメージとしては自動的に増援が送られてくるといえば理解しやすいかもしれない。
誰が増援部隊を指揮するのか
では、こうした増援部隊は誰が指揮するのだろうか。これが南海トラフ地震であれば、防衛大臣を一元的に補佐する統合幕僚長が陸海空の各部隊を統括するかと思えば、実はそうではない。
防衛大臣の指揮下には、「災南海統合任務部隊」が編成され、これの長は、関東甲信越および静岡県を受け持つ東部方面隊の長である東部方面総監となる。その配下に陸自の各方面部隊や、「海災南海部隊」として自衛艦隊司令官、「空災南海部隊」として航空総隊司令官がそれぞれ配置されるのだ。
つまり、統合幕僚長は、統合任務部隊(JTF/Joint Task Force)長と防衛大臣の橋渡し役であり、大臣に対して専門的な助言を行う立場にあるといえるだろう。
さらに、2011年(平成23年)の東日本大震災で注目された日米共同救助作戦である「トモダチ作戦」でも見られたように、日米間での連絡調整を行う「日米調整所」などが立ち上げられるとともに、現場レベルで協議を行う複数の「災日米調整所」も作られる。
なお、ここでいう各「災」部隊とは、災害派遣用に編成された部隊のことを指している。
“手持無沙汰”な部隊が生まれる可能性…それでも「人手はあったほうがいい」理由
たとえ日本の存続を揺るがすような大災害が発生しても、自衛隊の任務は国の平和と安全を守ることである。そのため、大規模災害が発生したからといって、すべての部隊を投入するわけではなく、通常時から行っている防衛・警備等への対処能力を維持するための要員は残しつつ、それ以外の隊員を最大限派遣することになるのだ。
ちなみに、各部隊が自主派遣により部隊を前進させると書いたが、これには一部の弊害もある。その例として、被災地に到着しても支援活動がないといったことや、被災地に十分な受け入れスペースがないといった問題が挙げられる。
日々の支援内容は前日の会議によって決定されるため、派遣部隊の調整担当は仕事の取り合いをすることもあるという。
自治体の処理能力を超えた部隊の派遣や、いわばフライングスタートをした部隊が多いともいえるが、逆に派遣が遅れたために、人手が足りなくなることも想定されるため、この場合は「ないよりはあったほうがいい」と考えるべきであろう。
さらにいえば、自衛官といえど同じ人間であるため、長期間連続しての活動には限界がある。そのため、手持無沙汰な部隊と交替することで、戦力を維持した状態、つまり長期にわたる支援活動にあたることができるのだ。
- この記事は、書籍発刊時点の情報や法律に基づいて執筆しております。

元自衛官が語る 災害派遣のリアル
その時、何が起きるのか!?
他人事ではない、知っておきたい災害派遣の意外な現実!
2024年1月1日に発生した能登半島地震や、続く9月の豪雨被害による自衛隊の災害派遣は連日報道され話題になった。災害派遣という言葉は国民に浸透し、活動自体は広く知られているが、その実態を知る人は少ないだろう。
本書では、過去に陸上自衛隊に在籍し、災害派遣の経験もある著者が災害派遣の実体験を等身大の文章で綴る。一人の陸自隊員が、どのように被災地に派遣されて活動するか、意外なその内容や悲喜こもごもを紹介。また軍事フォトライターとして取材した現場の体験も交えた災害派遣体験記である。
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