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“外国人犯罪”は本当に増えたのか? 政治が依存する「国民の不安感」と「厳罰化」の不都合な真実

“外国人犯罪”は本当に増えたのか? 政治が依存する「国民の不安感」と「厳罰化」の不都合な真実
「安心」のための取締強化や厳罰化は、日本人にとっても「生きづらさ」につながる(ASARI/pixta)

先日行われた自民党の総裁選初見発表演説会において、複数の候補者が日本における外国人の対応について言及していた。

特に2025年7月の参議院選挙では、一部の候補者による外国人に向けた発言が注目を集め、今後も政治的な言説の中で繰り返し取り上げられることが予想される。

外国人に関する政策的言説は、安全対策として合理的に必要とされるリスク評価に基づくのか、それとも事実に裏付けられない不安に由来するのかを見極める必要があろう。(本文:丸山泰弘)

「不安」がエビデンスに基づかない政策を招く

筆者が大学で刑事政策を学び始めた2000年の頃は、ちょうど厳罰化とその影響を受けた過剰拘禁で刑事司法が大変だと言われている時期であった。

2000年前後から一般刑法犯の認知件数は急激に増加し、検挙率が低下した。この状況を受け、日本国内では犯罪に対する不安が高まり、犯罪に対して厳格に取り組むような土壌が育っていった。

そして実はこの現象は日本だけに限らず、世界中で犯罪不安を背景にエビデンスに基づかない刑事政策が進められる時代でもあった。

刑事政策や犯罪学の専門家による研究よりも、タフな政策を採ることを声だかに叫ぶ政治家に票が集まる時代である。一方で、学術学会の世界ではこれに危惧感を持っていたとも言える。

筆者が初めて参加した2004年のアメリカ犯罪学会(American Society of Criminology)では、ローレンス・シャーマン(Lawrence Sharman)氏が会長を務めていたということもあって、国際的な刑事政策・犯罪学の主流はEvidence Based Policy(科学的根拠に基づく政策決定)が全盛期を迎えていた頃であった。

地球温暖化対策でも、経済対策であっても、実際に何が起きているのか、その原因は何なのか、それを解決するためには何をすることが有効か、これらを正しく理解し対処していくことが求められる。

しかし、犯罪不安に関しては、必ずしもこの議論が十分に行われないことが多い。さらに問題なのは、具体的な対策を講じたとしても、「でも私は不安だ」ということを背景にエビデンスに基づかない政策が採られることが起きやすいことだ。

近年の規制を伴う法改正や立法に関してはどうであろうか。立法事実となるものは何なのか、それはどのように改善が求められているのか、対応として刑事罰が本当に必要なのか、エビデンスに依拠せず思い込みや理念だけで現象を捉えていないか、刑罰による副作用も検討できているか……こういった点を具体的に検討することが重要になる。

1990年代に始まった「刑事政策暗黒時代」

上述のように、1990年代に「刑事政策暗黒時代」と指摘される時期があった(詳しくは拙著『死刑について私たちが知っておくべきこと』(筑摩書房、2025年)の第2章を参照)。

比較的経済が安定し、高度経済成長であった時代は日本でも過激に厳罰化が声高に主張されているわけではなかった。しかし、1990年代に入ると世間の注目を集める災害や事件が連日メディアを騒がすようになっていく。

例えば1995年には阪神・淡路大震災が起き、多くの命が奪われ、日常生活を送っていてもいつ大きな災害に巻き込まれて失われることになるかもしれないという不安が襲うようになった。

さらに、同じく1995年にはオウム関連事件が連日報道され、特に地下鉄サリン事件などが世間の注目を集めた。その後、時を置かずして1997年に神戸連続児童殺傷事件、1998年に和歌山毒物カレー事件、1999年に光市母子殺害事件や桶川ストーカー殺人事件などが相次いで報道されるようになっていく。

こういった災害や事件が連日報道されることにより、「明日は自分の身に起こるかもしれない」という不安と犯罪に対する感情をむき出しにした世論が形成されていくこととなった。同時に、被害者運動の活発化により厳罰化を望む声が多くなっていくということが重なっていった。

この厳罰化思考が進んだ時代背景として、新自由主義的な政治が行われていたということが指摘される。特に90年代からは犯罪について犯罪学や刑事政策を学んだ犯罪対策のプロが研究し対応を語るのではなく、専門家による研究的な背景のないまま厳罰を訴える政治家が当選し、多くの市民もそれを望んでいくということが現実となっていった。

こうした傾向は「ペナルポピュリズム」と言われ、日本だけでなく世界でもみられた。こういった情勢を受けて、刑事政策研究者らは、加害者の社会復帰は念頭に置かれず厳罰化思考が醸成されていくこの時期を「刑事政策暗黒時代」と表現したのである。

データが示す体感治安の悪化

社会情勢や報道の影響が「体感治安」として顕著に表れた事態は、犯罪被害者調査から読み取ることができる。

以下の図は、法務総合研究所が2000年以降におおむね4年おきに実施している「犯罪被害実態(暗数)調査の結果」である。特に2000年(平成12年)から2012年(平成24年)にかけて夜間の一人歩きに対する不安が高まっていることがわかる。

犯罪に対する不安の経年比較(法務省研究部報告67「第6回犯罪被害実態(暗数)調査―安全・安心な社会づくりのための基礎調査―」より転載)

また、その次の図からも、2008年(平成20年)には少し回復を見せたものの、2000年から2012年にかけて不法侵入の被害に遭う不安が高まっていることがわかる。

不法侵入の被害に遭う不安(法務省研究部報告67「第6回犯罪被害実態(暗数)調査―安全・安心な社会づくりのための基礎調査―」より転載)

これらの図から、いつ犯罪に遭うかどうか分からず不安が高まっていることが確認できる。では、実際にこの時期に犯罪被害に遭った人は、どのぐらいいたのだろうか。同調査では実際の被害率を示す図も示されており、それが次の図である。

被害様態別 被害率(過去5年間)の経年比較(法務省研究部報告67「第6回犯罪被害実態(暗数)調査―安全・安心な社会づくりのための基礎調査―」より転載)

2012年に犯罪被害率が高まっているように見えるものの、自転車窃盗やバイク窃盗が増えたという前提を考慮しても、2000年以降は減少傾向にあることがわかる。つまり、中長期的に見れば実際に犯罪被害に遭う人が減少しているのである。

こういった犯罪に対する不安や体感治安の悪化を背景に、2000年以降は顕著に厳罰化が進むこととなった。その影響は大きく、刑務所の過剰収容や仮釈放率の低下などをもたらす要因のひとつと考えられている。特に犯罪対策や外国人に向けられたものが顕著になるので、最後にそれを確認することとしたい。

2003年にも問題視されていた「外国人犯罪」

こうした体感治安の悪化は、一般市民のみならず、いわゆる犯罪の専門家にも影響を与えていたと見ることもできる。例えば、以前の犯罪対策閣僚会議も外国人犯罪について問題視していた時期があった。

特に犯罪に対する体感治安が悪化の一途をたどっていた2003年12月、犯罪対策閣僚会議により「犯罪に強い社会の実現のための行動計画:『世界一安全な国、日本』の復活を目指して」が策定・公表されている。

その行動計画の冒頭では治安水準の悪化と国民の不安感の増大について触れており、「今、治安は危険水域にある」という文言から始まっている。「街頭犯罪や侵入犯罪の急増」「凶悪な少年犯罪の多発」、そして「来日外国人犯罪の凶悪化・組織化と全国への拡散」を特に深刻なものとして指定しながら、外国人犯罪を問題視している。

確かに、外国人犯罪については、策定が行われた2003年から直近の数年を見ると統計上は増加している。しかし、同時期には日本人による犯罪も統計上は急増している。全体の数%に満たない外国人犯罪が多少増加・減少したところで日本全体の治安に影響を与えていたとは考えにくい。

関連記事:外国人犯罪、「ファクトはない」のに“対策強化”を求める声… データが示す「実際の検挙件数」は?

だが、犯罪不安に基づいた「安心」のための取締強化や厳罰化によって、もたらされる功罪も大きなものとなっていったのである。

リスクマネジメントとして犯罪対策を行い、エビデンスに基づき刑事政策を実施することは意義あるものになる可能性が高い。一方で、不安に基づいて行われる実態に伴わない政策は、外国人であろうと日本人であろうとより生きづらさを助長することとなる。ましてや、国や地方自治体がファクトに合致しない政策を採ることには、慎重であることが求められるだろう。

■丸山 泰弘

立正大学法学部教授。博士(法学)。専門は刑事政策・犯罪学。日本犯罪社会学会理事、日本司法福祉学会理事。2017年にロンドン大学バークベック校・犯罪政策研究所客員研究員、2018年から2020年にカリフォルニア大学バークレー校・法と社会研究センター客員研究員。著書に『刑事司法における薬物依存治療プログラムの意義――「回復」をめぐる権利と義務』(日本評論社)などがある。

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