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「妻の論文は、本当は俺が書いた!」離婚紛争中に過去の“代筆サポート”の恩義を振りかざし「著作権侵害」と訴えたエリート夫のてん末

「妻の論文は、本当は俺が書いた!」離婚紛争中に過去の“代筆サポート”の恩義を振りかざし「著作権侵害」と訴えたエリート夫のてん末
「妻が自分の著作権を侵害した」と訴えた男は何を考えてそうしたのか…(cerisier117 / PIXTA)

心が広く、包容力があれば、誰からも好かれ、人望も厚くなる。逆に細かいことや小さいことを気にする人間からはいつのまにか人が離れていく。

「俺に任しておけ!」。そう言って、妻の論文作成の代筆依頼を快諾し、見事に期限内に完成させ、妻、そして自身の株をあげた夫。ところが、蜜月期間を過ぎ、やがて離婚紛争になるまで関係がこじれると、夫が「あれを書いたのは俺!」とまさかの主張で妻に損害賠償を請求。

夫婦間のトラブルが著作権裁判に飛び火した格好だが、裁判所はどんな判決を下したのか…。(本文:友利 昴)

論文を代筆した夫が、依頼した妻に損害賠償を請求

提出期限が近い宿題や論文を、家族や親しい友人に手伝ってもらう、あるいは代わりにやってもらう。決して褒められた行いではないが、誰にでもそうした経験が一度や二度はあるのではないだろうか。

手伝いの範囲ならまだしも、露骨な「代筆」がバレて叱られる、単位が取り消しになる、教育・研究機関によっては、懲戒や研究費への応募・受給停止といったペナルティが課されることもある。

しかし、親しい間柄だったはずの「代筆者」が「あの論文を書いたのは自分だ!」と主張し、代筆を頼んだ身内相手に損害賠償を請求したとなれば、これは立派な珍事件である。しかも、裁判所は著作権侵害の成立を認めず、賠償請求も棄却した。いったい、何があったのか。

エリート夫婦の前途洋洋な日々だったはずが……

大学で助教を務める女性研究者のAさんは、米国出身で、GAFA関連会社に勤務し英語ペラペラなエリート・Bさんと結婚し、同居を開始した。同時期に、自身の研究分野について、国際学会で発表する機会に恵まれた。

結婚生活のスタートと学会発表の準備を並行して進めるには苦労もあったと思うが、Aさんは無事に学会発表をこなし、肩の荷が下りたその翌日に、Bさんとめでたく結婚式を挙げている。

式から間もなく、学会からAさんに、発表した内容を論文にして掲載しないかという打診が届く。締め切りはたったの12日後、しかも英語で書けという。

困ったAさんは、英語を母国語とする夫に協力を依頼する。Bさんがこれに応じ、Aさんの骨子をもとに、別の外国の友人Cさんとともにわずか2日で約14頁の英文原稿に仕上げ、最後にAさんが若干の修正を施して、論文は無事に完成した。

この論文は、翌月学会のウェブサイトにAさんの名前で無事に掲載された。自分が妻のキャリアの助けになれたなら、夫としてこれほど嬉しいことはないはずだ。この出来事で夫婦間の絆をより深めたであろう二人は、約一年後に第一子を授かっている。

夫が妻に著作権侵害を主張の奇策

ところがその後、両者の性格や価値観の違いが顕在化して夫婦関係が悪化し、子どもが1歳半を迎える前に二人は別居。同年、夫Bさんが夫婦関係調整調停を申し立てたのを皮切りに、子との面会交流申立、子の監護者指定申立、婚姻費用分担申立、離婚等請求などを互いに行う事態となり、二人は泥沼の離婚紛争状態に陥ってしまう。

この流れの中で、夫Bさんが奇策ともいえる本件訴訟を提起する。

「2年半前に、妻が自分の名前で発表した論文は、本当は俺の書いた原稿だ!妻の論文は著作権侵害であり、俺の名前を出さずに論文を発表したことは氏名表示権の侵害だ!」と主張し、妻であるAさんに損害賠償として330万円の支払いを請求したのだ。

夫が著作権侵害を主張した狙いとは?

法的な評価はひとまずおくとして、第一印象として夫Bさんの器の小ささを感じてしまう。

あんたが妻のためを思ってしたことじゃないのか?「俺と別れるんなら、2年前に立て替えた5000円返せ!」などと急にみみっちいことを言ってくる男ってたまにいるけど、それと同じ世界観を感じざるを得ない。

もっとも、夫Bさんは、離婚等請求において妻Aさんから300万円の慰謝料を請求され、また婚姻費用分担も請求されていた。妻からカネを取りたいというよりは、これら請求に対して防御する必要もあったし、また養育費請求などの他の争点においても自身の立場を有利に運ぶために、婚姻関係破綻の原因が妻Aさんにあると主張する材料を少しでも欲したゆえの行動だったのかもしれない。

いずれにしても、男女間の問題として捉えたときに「それっていかがなものか?」と思えることでも、著作権の観点からは異なる見方もできる。

著作権の問題を、裁判所はどう判断したか?

一般論として、他人の作品に、少しだけ手を加えて自分の作品として作成すれば、実質的には無断複製であり、著作権の侵害である。

また、他人の作品なのに、勝手に自分の名前で発行すれば氏名表示権の侵害(著作者人格権侵害)である。作者には、自分の作品に自分の氏名を表示するかしないかを決定する権利があるのだ。Aさんの行為は、外形的には、これらの権利侵害にあたるように見えることも確かだ。

Aさんにしても、研究成果自体は自分に帰属するものだとしても、論文作成にあたって大部分を夫に頼っていた事実は褒められたことではないし、バツの悪い部分はあったことだろう。

裁判所はどう判断したか。

問題の原稿は、クラウド上のGoogleドキュメントで共同編集により作成されていたため、編集履歴が克明に残されていたようで、その記録から、妻Aさん、夫Bさん、友人Cさんの関与が認められた。

ただし、Aさんの関与は初歩的な骨子作成と多少の加除修正のみで、実質的な原稿の創作は夫BさんとCさんの手によるものだと認定された。つまり、著作権は夫BさんとCさんにある、ということだ。

ピンチの妻が逆転、夫は控訴審で執着するも……

妻のピンチと思いきや、裁判所はさらに夫婦の関係性や、代筆の経緯に注目。

Bさんは、結婚式から間もない時期に、公表を前提とした英語の論文執筆に関し、妻からの協力依頼に応じて、妻のために原稿を作成し、その原稿にも最初からAさんの名前しか記していなかったことなどから、夫婦間において、「夫Bさんの名前を出さずに、妻Aさんの著作物として本件の論文を作成し、公表することには合意があった」と認定した。

確かに、最初からBさんが自分の論文として世に出したいと思ったのなら、原稿段階で自分の名前を記すはずだ。実際には、最初から妻の名前で書いていたのだ。

彼が黒子に徹するのはすべての前提だったのである。まさに、「最初からあんたが妻のためを思ってしたことだったんだろ!?」ということだ。

それを、夫婦関係が悪化したからといって2年半も経った後に今さら著作権を主張するのは、許されないというわけだ。

こうして、夫Bさんは敗訴した。納得できない彼は控訴までしたが、同様に敗訴している。判決が言い渡されたとき、子どもはすでに4歳になっていた。

5年前、論文執筆に悩む妻の姿を見て、「ボクがキミのために一肌脱ぐよ、ハニー」と言ったはずの夫、夫の協力に感謝したはずの妻の関係性がこんなにも形を変えてしまうとは、いったい何があったのかと思う。

ここまでこじれては復縁を望むべくもないが、ある意味、この判決は、今は離れて暮らす父と母が、かつては強固な絆で結ばれていた時期があったことを確認した記録とも読める。その手がかりを子どもに残せたことには、意味があったというべきだろうか。

■友利 昴
作家。企業で知財実務に携わる傍ら、著述・講演活動を行う。ソニーグループ、メルカリなどの多くの企業・業界団体等において知財人材の取材や講演・講師を手掛けており、企業の知財活動に詳しい。『江戸・明治のロゴ図鑑』『企業と商標のウマい付き合い方談義』『エセ著作権事件簿』の他、多くの著書がある。1級知的財産管理技能士。

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