
“妙な胸騒ぎ”的中で「終わった…」 タイで「ヤーバー」密輸繰り返した男に訪れた“あっけない幕切れ”とは?

TBS『水曜日のダウンタウン』やYouTubeチャンネル『丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー』で“タイで終身刑を受けた男”として取り上げられ、現在は日本でスナック「ここあ」を経営する竹澤恒男さん。
竹澤さんはかつて、職を転々とし、ギャンブルにはまり、5年間で3度服役。その後、栃木県で雑貨店を営むが、タイで流行していた「ヤーバー」と呼ばれる錠剤型の覚醒剤の密輸に手を染めるようになっていた。
タイでは違法薬物が比較的容易に入手できる一方、タイ政府は違法薬物犯罪を厳しく取り締まっており、その結果、竹澤さんはタイでヤーバー1250錠の密輸容疑で逮捕され、一審でまさかの「死刑」を求刑されてしまう。
近年、「大麻」「覚醒剤」などの薬物事犯が若年層を中心に広がりを見せている。また、高収入をうたう「闇バイト」から、薬物などの密輸に手を染めてしまう事例も発生している。
だが、竹澤さんは「(ドラッグに)手を出せば待っているのは地獄だ」と語る。本連載では警鐘を鳴らす意味も込め、竹澤さんが経験した、タイの「凶悪犯専用刑務所」での出来事などを紹介。
第2回は、ヤーバー密輸を繰り返していた竹澤さんに訪れた「あっけない幕切れ」について取り上げる。(全8回)
※ この記事は竹澤恒男氏の書籍『タイで死刑を求刑されました』(彩図社)より一部抜粋・構成。
麻薬犬と成田で遭遇、諦めかけるも…
毎月、1000錠を超える注文がきた。
タイの法律は細かく知らなかったが、麻薬の密輸の罪が重いことはなんとなく知っていた。そのため、一度に大量に密輸するのではなく、2〜3000錠ずつ運ぶようにした。
成田空港では、ヤーバーを体に巻いた状態で何度か麻薬犬に遭遇したことがあった。これで終わったと一瞬諦めかけたが、犬に吠えられることはなかった。
詳しい人間に後で話を聞いたら、麻薬犬は大麻を嗅ぎわけることはできるが、覚せい剤を見つけることは苦手だという話だった。ヤーバーは甘いチョコレート臭があるので嗅ぎ取れなかったようだ。
ラオス国境の町で“念願”の継続取引
3度目の密輸は、タイ北部のピサヌローク。これも日本にいるタイ人の紹介だった。仕入れ値は1錠60バーツで3000錠。今回も1回限りの取引だった。4度目はタイ東北部イサーン地方のノーンブワラムプー。こちらも1回限りの取引。
5度目からは、ようやく念願の継続取引ができるようになった。
場所はタイ東北部、ラオスとの国境の町であるウドンタニー。この町はとてもノンビリしており、雰囲気がよく、友人が住んでいたこともあってタイを訪れるたびに足を運んでいた。私のお気に入りの場所だ。
このウドンタニーのホテルに何回か呼んでいた、日本語の話せるマッサージ師の女性にダメ元で聞いてみたところ、仲介してくれたのだ。クスリは女の弟が手に入れてきた。出所は教えてくれなかったが、おそらくラオスから持ってきていたのだろう。
ここでは女の取り分を余計に乗せて、1錠80バーツで仕入れた。ウドンタニーでの取引は、その後も継続して行った。
バンコクに到着して女に電話をすれば、ウドンタニーに着くころには注文の品が用意されている。1回あたり2〜3000錠で、在庫がなくなれば仕入れにいった。多い時で2か月に1度は行っただろうか。
不思議なことばかり発生し「妙な胸騒ぎ」
2002年12月の上旬も、仕入れとバカンスのためにタイに渡った。いつものようにバンコクで女に電話を入れ、2、3日後にウドンタニーにヤーバーを受け取りに行く。
だが、なぜか今回に限って量が集まらなかったという。用意してあったのは、たったの1250錠。それでも、できるだけかき集めた結果だという。
この量では日本でとってきた事前注文にも達しない。仕方がないので、一度、この1250錠を持って日本に飛び、またウドンタニーにとんぼ返りすることにした。女はそれまでに足りない分の錠剤を用意しておくと言った。
この仕入れ旅は、いま振り返ると不思議なことばかりが起こった。
バンコクに滞在するとき、私はいつも決まって同じ宿をとっていた。この宿は手頃な価格のわりになかなかサービスがよく、深夜便で帰国するときなどはチェックアウトの時間を過ぎても無料で滞在させてくれた。
帰国の便は23時発だったので、ギリギリまで部屋でくつろいで空港に向かおうとした。しかし、普段は決して止められることがないのに、なぜかフロントで呼び止められ、追加料金を請求された。普段は払えと言わないのにどうして今日に限って請求するのか。金額は大したことはなかったが、つい揉めてしまった。
空港でもひと悶着あった。航空会社のカウンターでチェックインしようとすると、どういうわけか予約が入っていないなどと言う。こちらは予約ができたことをしっかり確認してきているのだ。その後、座席にキャンセルが出たので予定どおりの便に乗れることになったが、この時点で私は妙な胸騒ぎを覚えていた。
あっけない幕切れ
出発の時間が近づいてきたので、出国ゲートの保安検査場に向かった。
いつものように金属探知機のゲートを潜る。ヤーバーは袋に詰め直して、膝裏に巻きつけている。不測の事態を避けるために、金属製品は一切身につけていない。いつものように何事もなく通れるはずだった。
しかし、この日は違った。ゲートの先では、税関職員が仁王立ちし、私の行く手を塞いでいる。なにか確信があるのか、その顔は緊張しており、引き締まっているように見えた。
まずい。そう思ったが、ここで引き返すとかえって変に思われるだろう。私は度胸を決めて、歩みを進めた。ゲートの真下に入ると、税関職員によってこれまで一度もされたことのない入念なボディチェックが始まった。上半身、ついで下半身が弄られる。
ボディチェックを受けながら、私は祈るような気持ちでいた。膝裏がじっとりと汗ばむ。頼む、このまま気づかないでくれ。
職員の手が太ももの後ろに回った。そして、そのまま下に滑るように移動する。膝裏で何かを見つけたのか、手の移動が止まった。
終わった……。
そのときの感情をひと言で説明すると、そういう気分だった。頭が真っ白になり、全身から力が抜けていく。私の最後の取引は、こうしてあっけなく発覚してしまったのだ。
空港で別室送りに…終始淡々と進む取り調べ
職員から別室にいくように促された。一瞬、職員の手を振り払い、トイレに駆け込んで錠剤を流してしまおうかと思ったが、すぐにそれは無理だと悟った。ここまできたら、ジタバタしても意味がない。
私はおとなしく職員の指示に従った。連れていかれたのは、職員の控室のような場所だった。そこでズボンを脱がされ、膝裏のヤーバーを没収された。
しばらくして空港警察がやってきて、警察の詰め所に連れて行かれた。
調書をとるために、通訳の空港職員が呼ばれる。やってきたのは日本人ではなく韓国人で、ほとんど日本語が通じなかった。さすがに警察もこれではまずいと思ったのか、韓国人は帰され、代わりにJALかANAの日本人職員がやってきた。
このとき考えていたのは、どうやって罪を軽くするかだった。タイでは薬事犯に対する罰則が重いというのは聞いていたが、実際のところどの程度なのかはまったく知らなかった。
なんとか罪を軽くするために、ストーリーをでっちあげることにしたのだ。
錠剤はカオサンストリート(世界的に有名な安宿街。旅行者が多く集まる)のゲストハウスで友人から預かった。友人は睡眠薬だと言っていた。ヤーバーだとは知らなかった……。私は必死に通訳に説明した。それを通訳が警官にタイ語で説明する。警官は黙々と調書の空欄を埋めていく。
空港警察の警官たちは日本の警察官のように声を荒げるようなことはなく、終始、淡々としている。本当に話が通じているのか、私はとても不安だった。
国際電話で妻に電話後、一睡もできず一夜を明かす
調書を取り終わると、家族への電話が許可された。国際電話用のテレフォンカードを購入し、自宅に電話をする。番号を押す指に力が入らないような気がした。
数コール待って、受話器があがった。妻の声だ。妻には話していなかったが、私がヤーバーを扱っていたことを妻はなんとなく知っていたと思う。日本語は完ぺきではなかったが、少なくとも私の声の雰囲気から最悪の事態に陥っていることだけは理解できたようだ。
ここで話せたのはそれくらいだった。あとはまた次の機会に説明するしかないだろう。その機会もすぐに訪れると思っていた。
すでに真夜中になっていたので、この日は、そのまま詰め所に泊まった。これからどうなってしまうのか、目を閉じると不安で押しつぶされそうになる。私はそのまま一睡もできずに一夜を明かしたのだった。
- この記事は、書籍発刊時点の情報や法律に基づいて執筆しております。

タイで死刑を求刑されました
『水曜日のダウンタウン』(テレビ朝日)、『丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー』(YouTube)に出演し、話題!
タイ国の首都バンコクの北方に位置するノンタブリー県。この地にタイ全土の犯罪者たちから恐れられている刑務所がある。その名は、バンクワン刑務所(Bang Kwang Central Prison)……。懲役30年以上の長期受刑者、終身刑者、そして死刑囚が収容される、重罪犯専用の刑務所である。
手記の主である〝男〟は、裏ビジネスのほころびからタイの空港で身柄を拘束。言葉もわからないまま、臨んだタイの刑事裁判で〝死刑〟の求刑を受けてしまう。
そこから犯罪渦巻くバンクワン刑務所に送られ、殺人犯や麻薬密売グループの中で、10年以上にわたってサバイバル生活を送った。
所内で飛び交う1000バーツ札、暗躍する麻薬密売グループ、囚人たちからワイロを受け取る悪徳刑務官……終わりの見えない長すぎる刑期、過ぎて行く時間、たえまない絶望の中で〝男〟を支えたものとは何だったのか。
知られざるアジアの刑務所の内側を覗き見る、かつてない衝撃の手記!
※本書は2017年7月に小社より出版した『求刑死刑~タイ・重罪犯専用刑務所から生還した男』を加筆修正のうえ、文庫化したものです。
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