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1億円保険金事件「解剖しないで」父の懇願で見過ごされた殺意…「司法解剖」を軽視した初動捜査のお粗末とは

1億円保険金事件「解剖しないで」父の懇願で見過ごされた殺意…「司法解剖」を軽視した初動捜査のお粗末とは
バイク事故で死亡を額面通りに判断してはいけない…※画像はイメージです(CaptainT / PIXTA)
事件・裁判と法律

もし保険金目当ての計画的な殺人を遂行するなら、死因が極めて重要だ。事故に見せかけて殺せば、‟真相”から目をそらしやすく、その成功確率は高まるからだ。

逆にいえば、犯罪を見逃さないためには、‟事故”でも司法解剖はきちんと行う必要がある。たとえ、親族から「事故なので解剖しないでください」と懇願されても。

司法解剖医の岩瀬博太郎氏は、「犯罪だけを見つけ出して解剖しようとすれば『犯罪を見逃す』というパラドックスを生む」と警鐘を鳴らし、実例を交えて、この問題を解説する。

※ この記事は岩瀬 博太郎/柳原 三佳両氏の書籍『新版 焼かれる前に語れ 日本人の死因の不都合な事実』(WAVE出版)より一部抜粋・再構成しています。

息子をバイク事故に見せかけて殺害

長崎県に住む男性(75)が、当時26歳の息子をバイクの転倒事故に見せかけて殺害し、1億数千万円の保険金を受け取っていた疑いで逮捕されたというニュースは、世間を震撼させるにあまりある衝撃だった。

長崎県警によると、父親と3人の知人らは、2003年7月、人通りの少ない山林の道路側溝に息子を押し倒し、水死させた疑いがあるという。

ーバイク事故死「殺人」 父親と知人逮捕 保険金1億円超 容疑で長崎県警ー
長崎県警捜査一課と大村署は25日、息子をバイクの転倒事故と装って殺害したとして、殺人容疑で、父親で無職、佐々木繁一(75)と、知人の青果行商O(73)、その内縁関係の学生寮手伝いU(62)の3容疑者を逮捕、自宅などを捜索した。

佐々木容疑者は息子に掛けた約1億数千万円の保険金を受け取っており、保険金目当ての殺人事件とみて解明を進める。

調べでは、佐々木容疑者は、O、U両容疑者に、三男で無職の佐々木政治さん=当時(25)=の殺害を依頼。O容疑者らは2003年7月1日午後10時すぎ、大村市内の山林の道路側溝に、政治さんを押し倒し、水死させた疑い。

政治さんの保険金約1億数千万円は佐々木容疑者が受け取り、一部をO、U両容疑者に渡したという。

県警によると、当時、佐々木容疑者は親類らと、政治さんを捜しながら偶然発見したように装っていたという。政治さんは病院に運ばれたが、約2時間後に死亡。市道脇に政治さんのミニバイクが倒れていたことなどから﹁事故死﹂と処理された。(以下省略) (2007・7・26 西日本新聞)

父親は自ら、「1000万円を渡すから、トラックでひき殺してくれ」と別の知人に頼んでおり、複数の証言が警察に寄せられていたそうだ。また、地元住民からも「本当に事故なのか」と県警の対応に疑問の声が出ていたらしい。

その結果、事故から4年もたって、「交通事故死」が一転、凶悪な「保険金殺人事件」に発展したのだ。

事件の背景にあった見逃せない問題

このニュースを目にした多くの人たちは、『父親が息子を保険金目当てで殺害』という考えられないような犯行に、驚きや怒りを感じたことだろう。もちろん、親の子殺しは大変ショッキングな出来事だ。

しかしこの事件の背景には、それ以前に見逃してはいけない大きな問題がある。それは当初、捜査にあたった警察が、被害者の遺体を司法解剖にまわすことなく「単独交通事故」と判断していたことだ。この父親は事件直後、現場に駆けつけた県警の捜査員らに対し、「事故なんで解剖しないでください」などと懇願していたという。

被害者はとりあえず病院へ運ばれているため、異状死届け出はされていたはずだが、所轄署は安易に「交通事故」と判断したため、本件は捜査レベルを下げて扱われ、おそらく殺人などを担当する捜査一課はタッチしなかったのだろう。交通事故捜査は詰めが甘い……。

この事件は、結果的にそのへんをうまくつかれた格好だが、「解剖しないでほしい」という父親の「懇願」にほだされたとするなら、日本の警察はあまりにお粗末だ。

そもそも死因は「水死」となっているようだが、警察や検案医は、いったい何を根拠に「水死」と断定できたのだろうか。

県警は、「非常に計画的な事件で、実況見分や検視では見抜けなかった。全力で真相解明に取り組み、後に検証したい」とコメントしていたとのこと。おそらく、外見的には致命傷になるような大きな外傷はなかったものと思われるが、殺人事件は計画的で見抜くのが難しいからこそ、司法解剖が必要なのではないか。

私たち法医学者から言わせれば、目立った傷のない単独事故死の場合、頚椎骨折で死亡したのか、溺死したのかは、解剖やCT検査をしなければ絶対にわからない。結局、犯罪だけを見つけ出して解剖しようとすれば「犯罪を見逃す」というパラドックスを生むわけだが、この事件はまさにその好例である。

  • この記事は、書籍発刊時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
書籍画像

新版 焼かれる前に語れ 日本人の死因の不都合な事実

岩瀬 博太郎 (著), 柳原 三佳 (著)
WAVE出版

2007年の『焼かれる前に語れ』(小社)刊行から14年――。当時から多くの問題が露呈していた我が国の死因究明のあり方は、流れる月日とともに大きく改善されただろうか。
否、である。
国も警察も相変わらずこの問題から目を背け、ほとんど何もしないでいる。この間、我が国は東日本大震災という未曾有の災害にみまわれ、今は新型コロナウイルスという未知のウイルスの脅威にさらされている。国民一人ひとりが、否応なく「死」と向き合う日々を過ごしているのだ。
だがもし、その死因に信用が置けないとしたらあなたはどう思うだろうか。自身や身内、あるいはニュースで見聞きする事件や事故の遺体が、どのような扱いを受け、処理をされるのか知っているだろうか。
日本の変死体解剖率は、先進国の中でも最低レベルだ。コロナウイルスによって亡くなったのに因果関係の証明もなく違う死因にされているかもしれない。殺されたのに自殺とされているかもしれない。本当の死因は解剖しなければ永遠にわからないままだ。
医療先進国と言われる日本の驚くほどずさんで脆弱なシステムについて、生命保険や損害賠償、また類似事件の再発防止など私たちの生活に関連しうる身近な問題が数多く潜んでいることについてもっと知ってほしい。 腰の重い国や警察組織に正面から向き合い、改善を訴え続けている司法解剖医が、声なき死体と今を生きる日本人のためにもう一度強く警鐘を鳴らす!

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