元フジアナ長谷川豊氏が「上納被害」の“証拠”と主張…「日記」は裁判でどこまで“信用される”のか?【弁護士解説】

弁護士JP編集部

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元フジアナ長谷川豊氏が「上納被害」の“証拠”と主張…「日記」は裁判でどこまで“信用される”のか?【弁護士解説】
フジテレビアナウンサー時代の長谷川豊氏(2002年)(写真/ロケットパンチ)

元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏が2月1日にYouTube番組内で、フジテレビ在籍時に同局アナのA氏らにより映画評論家のB氏に「上納された」と発言したことが話題になった。長谷川氏はそれが真実である「証拠」として、若いころから毎日書いているという「日記」を挙げている。

A氏やB氏らが長谷川氏を「名誉毀損」等で訴えるかどうかは別として、ここで一つ気になるのは、「裁判」の場で、日記は「証拠」としてどの程度の価値を認められているのか、ということである。民事裁判と刑事裁判とで「日記」はそれぞれ「証拠」としてどのような扱いがなされているのか。

そもそも証拠として「訴訟の場」に出せるかが問題に

一般論として、裁判の場では、「証拠」は、「証拠能力」と「証明力」の2段階で判断される。第1段階の「証拠能力」は、そもそも「証拠」として訴訟の場に出してよいかという資格の問題である。これに対し第2段階の「証明力」は証拠としての信用性の高さ・価値をさす。

第1段階の「証拠能力」について、刑事訴訟の経験が豊富で訴訟手続きのルールに詳しい岡本裕明弁護士(弁護士法人ダーウィン法律事務所代表)は、民事と刑事では考え方が大きく異なり、刑事裁判ではきわめて厳しい規律がなされているという。

岡本弁護士:「民事裁判の場合、基本的には証拠能力は無制限に認められます。極端な例では、違法に収集した証拠でも証拠能力が肯定されます。

これに対し、刑事裁判の場合は、証拠能力については憲法・刑事訴訟法によって厳格に規制されています。

その一環として、書面など『公判廷の外』で得られた供述証拠は、その内容の真実性を立証する場合には、原則として証拠能力が認められません(刑事訴訟法320条1項参照)。これを『伝聞法則』といいます。

そして、その例外として証拠能力が認められる場合については細かく規定されています(同法321条~328条)。

なぜなら、書面を証拠として採用した場合、公判廷の場で作成者に質問することができず、内容の真実性を吟味できないからです」

相次ぐ疑惑・不祥事で岐路に立たされているフジテレビ(T2K/PIXTA)

刑事裁判の場では日記の「証拠能力」は厳しい?

以上を前提とすれば、「日記」の証拠能力は、民事訴訟においては特に問題なく認められそうである。

しかし、刑事訴訟では、日記は前述の「書面」にあたるので、そこに書かれた内容の真実性を裏付けようとする場合には「伝聞法則」にてらし、原則として「証拠能力」が否定されることになる(刑事訴訟法320条1項)。

問題は「例外」の要件をみたすか否かだが、岡本弁護士は、長谷川氏のようなケースでは、仮に名誉毀損で訴えられた場合に「日記」が伝聞法則の例外の要件をみたし、証拠能力が認められることは極めて難しいと指摘する。

岡本弁護士:「日記は刑事訴訟法322条1項の『被告人が作成した供述書』にあたります。

その内容が『被告人にとって不利益な事実を認めるもの』であるか、あるいは、『特に信用すべき情況』の下で作成されたことが要求されます。

前者については、長谷川氏が『上納』の事実が虚偽であるかのような記載のある日記を、証拠として提出することは考えられず、不利益な事実を認めるものとして証拠能力が認められることはなさそうです。

また、後者についても、日記に必ずしも真実を書くとは限らず、創作・脚色を交えることもよくあるので、『特に信用すべき情況』の下で作成されたとは認定されにくいといわざるを得ません」

他に、例外として認められる余地はないのか。

岡本弁護士:「刑事訴訟法323条3号の『特に信用すべき情況の下に作成された書面』というのもあります。

これは同条1号の『戸籍謄本、公正証書謄本その他公務員が(中略)作成した書面』、2号の『商業帳簿、航海日誌その他業務の通常の過程において作成された書面』と同等のものをさします。いずれも、作成者が業務として記載し、好き勝手に書くことができず、もし虚偽を記載したら法律に違反したり、業務に支障を来したりと、えらいことになってしまうものです。

個人が好き勝手に書ける日記は、基本的にこれらと同等に扱うことはできず、やはり、伝聞法則の例外に該当しようがありません。

なお、ストーカー規制法違反・業務妨害の事件で、被害者が被告人からの電話の日時・回数・内容等を日常的に記録していたノートが『特に信用すべき情況の下に作成された書面』にあたるとして証拠能力を認められたことがあります(東京地裁平成15年(2003年)1月22日判決)。しかし、このケースでは同僚に相談してフォームを作り機械的に記入していたことや、記載内容が被害者以外の証人の公判廷での証言内容と整合していたことが重視されています。

結局、そういった強度の信用性を担保する事情のない、単なる日記の証拠能力は認められないということです。日記の内容が真実であることを証明しようとするならば、あくまでも、法廷の場で本人が供述し、検察側からの『反対尋問』を受けなければなりません」

岡本裕明弁護士(弁護士法人ダーウィン法律事務所提供)

民事訴訟で「証明力」はどの程度認められるか

このように、日記は刑事訴訟の場ではそもそも証拠能力が認められない。となると、残る問題は、証拠能力に問題のない民事訴訟の場で「証明力」がどの程度認められるかである。

岡本弁護士は、「ケースバイケースで一概には言えないが」と断ったうえで、日記自体の内容と、その内容の信用性が高いことを示す周辺的な事情の有無が重要だと述べる。

岡本弁護士:「証拠の証明力の評価は、裁判所の自由な心証に委ねられます(自由心証主義、民事訴訟法247条)。

そこで、日記がどれくらい具体的に書いてあるのか、何か日記の内容を補強する証拠がないか、経験した人でなければ書けないような迫真性が認められるか、などについて、裁判所にどこまで訴求できるかが重要です。

たとえば、精神的なダメージを受けて病院に受診した事実があり、実際にその際の診断書や領収書があるのであれば、日記の内容を補強する有力な証拠になり得るでしょう。

さらに、当事者が争わない事実については、裁判所は真実と扱わなければなりません(同法179条参照)。たとえば、長谷川氏のケースでは、Aアナらが長谷川氏と映画評論家B氏をエレベーターまで送ったところまで認めたのであれば、『密室で2人きりにされたということまでは真実かもしれない』ということにはなり得ます。

いずれにしても、民事の場合、日記の証拠価値は、そこに記載された内容自体に加え、その内容の信用性を補強する客観的・周辺的な事情の有無等から総合的に判断されます」

取材協力弁護士

岡本 裕明 弁護士
岡本 裕明 弁護士

所属: 弁護士法人ダーウィン法律事務所

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